夜にお菓子やご飯をつくりたくなるこの衝動は何なのだろう。。。
我ながら不思議です。
さて、このブログでもちょくちょく取り上げている
”人間と人間の宇宙が実在しない”
ことをなぜ知る必要があるのか、について。
今日は”知ること”をテーマに書いてみます。
今までは”知らないこと”、”無知”であることが問題とされてきました。
だからより多くの知識、論理、情報を得ようとしてきたし、
またそうした知識人たちが評価されてきた時代でした。
”知ること”が尊ばれ、価値があるとされてきた。
でも今はどうでしょうか?
情報知識の大洪水と言われるくらいの今の時代では、
”知ること”が増えれば増えるほど、摩擦・衝突が終わらない。
お互いに対するジャッジがどんどん激しくなる。
”知ること”が増えても、愛や平和が増えない。
むしろ自分の”知っていること”で相手の”知っていること”を攻撃する。
自分の”知らないこと”が恐怖で、建前がひどくなる。
さらに、人間の脳ミソよりも、スマホの方が色んなことをよく知っています。
”知ること”は人工知能の方が桁違いに得意です。
”知ること”に価値がなくなっていく。
こんな時代に”人間と人間の宇宙が実在しない”ことを知ることが、
どんな意味があるのでしょうか。
”人間と人間の宇宙が実在しない”
ことは、全ての”知っている”世界から自由になる”無知の完全性”の境地です。
”無知の完全性”になれるからこそ、
”知っていること”に囚われることなく、自分も人も愛し、平和に、融合していくことができます。
そして”無知”から”知”を無限大自由に創造することができます。
今の時代に”人間と人間の宇宙が実在しない”
ことがかなりニーズがあると思いますが、
みなさんはどう思いますか?
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東京Japan Mission Projectの復路でヒッチハイクをしてる仲間たち。 奇跡的な出会いが織りなしています。 |
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