2013年11月6日水曜日

”手放す”ということ

最近、”手放す”ということの奥深さを感じます。


ちょっと前に断捨離が流行ったりもしましたが、思えば”手放す”ということは人類がずっと追求し続けてきたテーマではないでしょうか。
なぜって、両手に何かを握りしめたままでは新しいものを掴めませんし、隣と人と手も繋げません。

つまり”手放す”ということは進化発展の過程で不可欠なことなのではないかと思います。

とてもシンプルなことのはずなのに、自分も含め人というのは握りしめているモノを手放すことが本当に大変です。

それは、自分のお気に入りの服や鞄であったり、
稼いだお金、
手に入れた地位や名声、
こうだと思い込んでいる考えや感情のパターン、
世間の常識、などなど

手放したつもりでも、意外と根っこが残っていたり。

一度掴んだもの、決めたこと、知ってしまった世界を手放すことに、人はなぜこんなにも恐怖や抵抗を感じてしまうのでしょう。

時代の流れを観てみると、今まではいかに多くの権力や富、財産を得るか、ということに意味・価値があるとみなされ、それが幸せ、成功の条件でした。
その結果、二極化は進み、ピラミッド型構造の社会が出来上がりました。
しかし、今や新しいアイディアや技術が生まれないため、雇用も生まれず、ピラミッド型構造を保つことすらできなくなってきています。

そんな中、見直されてきているのが日本の”和の精神”、”おもてなしの心”です。

その心が示すことは、”循環、融合、調和”ではないかと思います。

実際、色んな所でこれらの言葉が発せられているのを見かけます。
そして、”循環、融合、調和”を生み出すために不可欠なことが、”手放す”ことだと思います。

逆に言うならば、”循環、融合、調和”のイメージがないから、手放すことに恐怖や不安を感じるのではないでしょうか。

手放したものは、一見失ったように思えるけれど、実際は形を変え、場所を変えて息づいているのです。

その変化を観る目、全体の動きを観る目を持てた時に、手放すことへの恐怖も消え、新しい”循環、融合、調和”の時代が生まれるのではないかと思います。