2013年10月27日日曜日

生きがい

ふと、友達に聞かれました。
"死ぬまで仕事をしたいと思う?"
その子は、亡くなった上司が、癌で闘病生活をしながらも最後まで仕事をしたがったその想いに不思議さを感じたそうです。
せっかくがんばって仕事をしてきたのだから、最後くらい好きにゆっくりしたらいいのにと。
その方がどんな想いを抱いていたのかは今はもう知る術もありません。

私は社会人7年目になります。
まだまだヒヨッコではありますが、今まで出会った人々の中で、心の底から仕事を楽しんでいる人の方が少ないように感じます。
その中でも将来への明確なビジョン、ワクワクするような未来を思い描いている人はもっと少ないでしょう。

人は何ために仕事をするのか。
それは即ち、何のために生きるのかということに直結します。

社会的に成功している人でもそうでない人でも、
求めているのは、充足感、やりがい、生きがい、ではないかと私は感じます。
自分が生きていることを、その意味・価値を心深く感じたい。
思いっきりエネルギーを注げるものが欲しい。
そのためには一人では不可能です。
相手があって初めて人は自らの存在を認識できます。
仕事というのはそのための一番わかりやすいツールなのではないかと思います。
自ら考え、行動し、生産し、周囲と関係性を構築し、時には破壊して更なる創造へと向かう。
最高の自己表現、人と繋がるツールの一つ。
そんなイメージを持っているからなのか、基本的に私は仕事というものが好きです。
仕事、というと硬いイメージがするかもしれません。
表現を変えるなら、役割をもつということでしょうか。
趣味でも遊びでも、言葉は何でもよいと思います。

死ぬ間際まで、生きていることを、誰かと繋がっていることを感じたいと、
そんな想いが友達の上司にあったのかもしれないと、心馳せた日でした。

2013年10月3日木曜日

死ぬことと見つけたり

私の好きなことば

”武士道とは、死ぬことと見つけたり”


これはすごいことばだなと思います。

実際の解釈は違うかもしれませんが、このことば、この境地は究極の大自由そのものではないでしょうか。


私は薬剤師として病に苦しむ人、懸命に生き長らえようとする人、死に直面する人、色んな人たちを見てきました。
その中で、みんな自分が何をどう生きて行けばよいのか全くわからないのだということを痛切に感じました。

死ぬことに恐怖し、生きることに不安し、今この瞬間を生きることができない。

必死に治療して、しかし気付けば治療することが目的となり、
いつしかなぜ治療しているのか、どう生きていきたいのかを全く見失ってしまいます。

病気のこと、治療のこと、薬のこと、不安に駆られてたくさん聞いてこられます。
その時、私は、
”治療することが目的ではないですよね、どう生きるかが先にあって、そのための治療ですよね”
と聞きます。
その瞬間、はっとして、”そうだった”と皆さんおっしゃいます。
けれど、すぐにまた日常に追われ、病への不安に囚われていってしまいます。

人は本当に今この瞬間を全力で生きることが難しい生き物です。
しかし、武士の”死ぬことと見つけたり”というのはそれを超えているのではないでしょうか。

自らの死に方が明確に見えた時、初めて生き方を決定できるのではないでしょうか。

自分がどう生きてどう死ぬのか、
それを明々白々に悟り知る時、今この瞬間、死にながらにして生きている。
それは生死への不安・恐怖を超えた状態であり、
だからこそ常に今この瞬間を全力で生きることができる。
過去からも未来からも自由で、かつ過去も未来も自由自在に創れる。
それこそが究極の自由な生き方ではないかと思います。

やっぱり武士って、侍って、すごいですね!
そんな不安も寂しさもない大自由の生き方・死に方を誰もができる時代を創っていきたいなと思います。