2015年8月23日日曜日

本日の出会い

11月に開催される第2回 日韓友好フェスティバル”ヌリッショ”

日本と韓国の若者が結集して沸き起こっているこのムーブメント。

ヌリッショとは、
”ヌリラ(=満喫する、享受する)” + ”一緒”
から生まれました。

今、実行委員のみんなががんばって着々と準備を進めてくれています。

戦後70周年が過ぎて、これからどんな日本をつくっていくのか、
周りの国とどんな関係性を結んでいける日本になっていくのか、
改めて向き合っていく時だなと感じています。

その上で、近くて遠い国でありお隣韓国の存在は外せません。
日本と韓国がお互いに交流する機会がどんどん増えていくことって大切ですね。

まずは日本の身近なひとりからそんな意識が広がっていったらいいなと思って、
善は急げで(笑)、
街中の人たちに、韓国についてどんなイメージがあるか聞いてみました。

情熱的
騒々しい
礼儀正しい
あまり興味ない
韓流好きで印象がいい

などなど。
人の観方は色々ですね。

その中で、韓国のドラマをよく見ています、というデザイナーの男性に出会いました。

韓国のドラマのどういうところが好きなんですか?
と聞くと、
感情表現する表情が、日本の俳優では見れないものがあります、
と言っていました。
怒った顔とか、困った顔とか、日本の俳優とは全然違うんだとか。

へー!と驚き。
そんなところに着目している人もいるんですねー。
やっぱりデザイナーさんなのもあって着眼点が違うのでしょうか。
でも、よく変わってるって言われるそうなので、彼独特のものかもしれません(笑)
確かに不思議な雰囲気の男性でした。
抵抗感を感じさせない話しやすい人で、
じーっと目を見てくるので、思わずじーっと見返してしまいました(笑)

そんな本日の楽しい出会いでした。


写真は昨日食べたイチジクのタルト。
おいしかった〜。

2015年8月19日水曜日

時空間を越えた出会い

最近は、いかに相手をワクワクさせられるか、
ワクワクを一緒につくっていけるか、
ワクワクするようなビッグイベントを起こしていけるか、

そんなことを追求しています。
その一環で街中の人にワクワクに対するイメージや想いを聞いている今日この頃。

先週のある日、博多駅をスタスタ歩く女性にふと目がとまり、声をかけてみました。

話してみると、やたらキラキラハキハキ。
わずか数分で一気に話が深まる深まる。
看護師さんらしく、同じ医療系というので親近感も湧きました。

話していたのは15分くらいでしょうか。
そんなわずかな時間でも共感することが多すぎて、
また話しましょー!と意気揚々と分かれました。

そんな先週を過ごして、今日。
急遽、予定が合い、博多駅の彼女と会うことに。

せっかくなのでと女侍の畑地先生にも声をかけたら遅れて行けるとのこと。

畑地先生は、医療革命を起こそうとしている侍ドクター。
超気さくで、私も親しみを込めて、みきさん、と呼んでいます。

博多駅の彼女も侍の匂いがしたから気が合いそう~という直感が働きました(笑)

そして直感はビンゴ。

ものすごい循環が起きました。
そして出会いの繋がりがすごい!

みきさんが先日名古屋で講演会をしたときに、お腹が痛くなり、
講演会に来ていた方がヒーリングで治してくれたそうです。
福岡に医療を変えていきたいとクリニックをしているドクターがいるからぜひにと紹介され、
みきさんはヒーリングの先生が書いている本を思わず買ってしまったという。

そのクリニックがなんと博多駅の彼女が働いているクリニックでした!
そして彼女が尊敬しているヒーリングの先生の本。
楽しくおしゃべりしながら、まさしくその本を紹介してもらって、
私が見ているところに、遅れて合流したみきさん。

この本、知ってる!
このクリニック、聞いた!

というところからびっくりな繋がりがわかったわけです。

たくさんの人がいる博多駅でたまたま声をかけた彼女が、
名古屋という空間を超え、
急遽会おうと、たまたま3人の予定が合い、時間を越えて、
博多の地で顔を合わせるに至ったこの出会い。

不思議ですね~。

3人で話す中で、みきさんは真っ直ぐに発信する人だけれど、
博多駅の彼女もスルスルイメージを受け取るから、どんどんみきさんも引っ張られて、
交流の循環がすごいスピードで起こりました。

時間とか空間とか、ホント関係ないですね。
出会いたい意思は、そんな条件を超えていきます。

必要なのは、たったの一声。
知らない人を、知ってる人にひっくり返す一声だけですね。



2015年8月9日日曜日

新幹線での出会いたち

関西から福岡への帰途についています。
今回はお得なLCCがなかったから新幹線の指定席で悠々。
行きは自由席でしたが、色んな人が入れ替わり立ち替わり座って面白かったです。

1人目は、優しげなオバさま。
寒くないですか?と話しかけると、
耳が聞こえない方のよう。
でもさすがですね。私の口の動きを見て理解して、笑顔で答えてくれました。

2人目は、モサっとしたオジさん。
気が乗らなかったので、声かけませんでした。
かなり主観と偏見が入ってますね(笑)

3人目は、品のいいおばあさま。
毎月山口から広島の友達のところに通っているそう。
広島のお友達がリウマチで体が不自由らしく、手伝いに行っているそうです。
高校からの付き合いだとか。
そのおばあさまはもう70歳を過ぎているけど、ビルの管理人もずっとしたりと精力的でした。

4人目は、オシャレなオバさま。
姪っ子さんの結婚式に神戸まで行くそう。
それでカクテルドレスのようなキレイな格好をされてたわけです。
取り出したボールペンが、皮製のカッコいいケースに入っていて。
うーん、サマになってるなあ。

5人目は、ワカモノの男性。
旅行帰りっぽい。
座るなりお疲れなのか寝てしまい、声をかけられませんでした。
残念〜。

博多から大阪までの楽しい出会いでした。
指定席だとこういうことはないので、自由席もいいもんですね。

お話しした3人の女性は、みなさん降り際に、さようなら、と声をかけてくれました。
最初にこちらからひと声かけると、そこに道のようなものができるのでしょうね。
一度通った道を、また挨拶で返してくれるのはとても嬉しいものです。

旅は出会い、とはまさしくですね。


2015年8月6日木曜日

ロボットだったらよかったのに

先日、25歳のワカモノ2人と、40~50歳の女性2人の5人で話していました。

キャラが濃いメンバーばかりで、異色メンバーだったけど、
不思議と調和がとれて盛り上がるから面白いですね。

話す中で、年長ペアと年少ペアがお互いのジェネレーションギャップにびっくり。
私も今の25歳のワカモノの現状をリアルに聞いて胸に差し迫るものがありました。

今のワカモノたちがどれほど感情を奪われ、考える力を奪われ、
気力や情熱を奪われているのか。

25歳はちょうど絶対評価が始まった頃。
絶対評価とは聞こえがいいけど、実際はクラスの先生の独断になってしまうのだそうです。
どんなにテストの点数がよくても、
クラスの先生が非行とみなすことや、気に入らないと成績が落ちてしまう。
だから生徒たちは先生の機嫌を損ねないよう荒立てず、
気に入られるよういい子に無難に振舞う習性がついてしまうんだと、話していました。

バブルが崩壊し、明るい時代を見たことがない世代。
希望ある未来をイメージできない世代。

とにかく穏便に。
目立たず、出すぎず、和からはみでず。
熱くなると冷ややかに見られる。

感情を抑えるとかではなく、感情そのものを奪われてしまった。
自分が何を感じているのかもわからない。
感情を出すことがどういうことかもわからない。

情報は溢れ、相対比較の対象は増える中で、
自信のもてるものもなく、やりたいことがわからず、
自分の存在意味も価値も感じられない。

とにかく周りに合わせて、笑顔をつくる。
言われた通りにやる。
周りが提示する”正しい”と言われることをただこなす。

大人たちも今の時代に何を教え育てたらいいのかわからない。
だから企業側は優秀な子をとろうと必死になる。
できる子とできない子の知識格差は広がるばかり。

”いっそロボットだったらよかったのにって思ってました”

ワカモノの1人がそう言いました。


敗戦後、日本は徹底的に負けました。

天皇を中心に立て、大東亜共栄圏創建の誇りを全て奪われた日本。
軍国主義の問題もあったし、責任を取るべきことは諸々あったけれど。
GHQによって日本人が骨抜きにされていく様をただ眺めるしかなかった。
どれほど悔しく、悲痛な叫びを飲み込んできたのでしょうか。
そしてそんな飲み込んだ想いを共有することができないまま。。。

バブル世代は、頂点から一気に奈落へと突き落とされ、
やり続けることで成長してきたパターンを変えることもできず。
新しい発展方向が見えないままただ走り続けてきた。

バブル世代だった年長ペアは、
自分たちも感情を押し殺してきたと言っていました。

バブル崩壊後、バブルの時代を知らない世代へと移行する中、
どんどん資本主義の奴隷と化していく日本。
そして世代間の疎通も取れないまま、分かり合えない諦めが蓄積されていく。
一時の遊びや買い物で、幻のような幸せを感じるだけになっていく。
そんな時代の移り行く様を見つめていた私の世代。

そして、1億総ロボット化へと着実に進んでいる今。

考えず、
感じず、
自らの言葉がなく、
自らの意志がなく、
自他に興味がなく、
ただただ機械的条件反射で生きていく。

これが人間か!?
これが日本か!?

敗戦後70年。
日本はまだ殺され続けている。

これは日本だけの問題ではありません。
今の資本主義社会が続く中では、どの国も多かれ少なかれ起こりうる問題です。

だからこそ今、日本から目覚めたい。
敗戦後70年の痛みも超えて、
72億人の痛みも抱きしめることができるのが本当の大和の心だから。

一緒に話していたワカモノ2人はまさしく希望そのものでした。
そんな人をどんどん増やしていきたいです。


2015年8月2日日曜日

知らない人に声をかける

ゆったりと時間が流れるカフェの空間を楽しみながら、

ふと、隣で本を読んでいる女性に声をかける

ひとつであるはずの彼女は、

驚きと不安を瞳に浮かべて目を反らす


絶妙な朱と紺が混じり合う夕暮れの中、

ふと、真っ直ぐに歩く男性に声をかける

ひとつであるはずの彼は、

鬱陶しさと不信を口の端にのせて、立ち去っていく


透き通った大空の下で、頬をなでる風を心地よく感じながら、

ふと、公園で遊ぶ親子に声をかける

ひとつであるはずの母は、

警戒と拒絶を後ろ姿で語って、子供の手をひく


ひとつしかないところから

出会えなくて

出会いたくて


出会えないから

出会おうとして


意志ひとつでつくり続けた路は

ふと、振り返ってみると、137億年経ったように見えて、

心に重く降りかかり、路が見えない


けれど、心の深い深い、一番奥深いところからかすかな声がする


ここだよ

今ここだよ


かき消されそうなその声に必死で耳をすます


ここだよ

今ここだよ


深い深い、一番奥深いところ、

上からではどんなに手を伸ばしても届かない、だから


深い深い、一番奥深いところよりも

さらに低い低いところから、声をかける


出会いにきたよ

今ここに


一番低いところから路を貫いて届けと、全身を声にして叫ぶ


出会いにきたよ

今ここに、今ここで


ひとつしかないことを知るために

今日も、知らない人に声をかける