2017年10月30日月曜日

大刀洗平和記念館に行ってきました。

昨日のブログの続き、
の前に!
今日は書きたいことが〜!

本日、大刀洗に行って来ました!

大刀洗がどういう土地か、知っていますか?
(今日まで全然知らなかったクセに、やや上から目線です(笑))

かつて「東洋一」と言われた日本陸軍が誇る日本最大の航空拠点でした。
日本初の民間航空会社が立ち上がったところであり、その飛行場では戦争が始まるまでは、国際空港としての役割も持っていました。
飛行機製造の技術開発、修理・メンテナンス、航空技術兵学校建設、技術者の育成、兵隊の育成、などなど。
多くの特攻隊員もここで育成されました。
第二次世界大戦の時は、かなり重要な役割を担っており、それゆえにアメリカからの空爆ももちろんあり、大打撃を被った土地です。

知覧は有名ですけど、まさか福岡の身近にそんなところがあると知らずびっくり。
最初は友達に、大刀洗平和記念館で零戦が見れるというので意気揚々と行ったわけですが。

まず、記念館のキレイさが印象的でした。
見て回る構成も上手に考えられていて、見る手にわかりやすい設計。
想いを込めて作られ、管理されている記念館だな〜って感じましたね。

館内のスタートは、15分ほどの上映会から。
これがもう涙なみだで。。。
第二次世界大戦の時の大刀洗を中心とした出来事や経緯を、おばあちゃんの回想記として語られるんですけど。
当時の人たちの心情がリアルに語られていて、胸に込み上げるものがありました。

大刀洗平和記念館には2機の戦闘機があります。
零戦は世界で残り12機の内の一つ。
九七式戦闘機は世界でこの1機だけです。
実物の前に立つと、自然と身が引き締まります。

百聞は一見にしかず、なので、ぜひ皆さんも行ってほいしです。
ってか、今度一緒に行きましょう!
多くの人たちに訪れてほしい場所です。

第二次世界大戦の時の日本がどういう状態だったのかがよくわかりますし、大刀洗平和記念館を見てから「永遠の0」や「日本の一番長い日」、「男たちの大和」、「出口のない海」を観たら、受け取り方が変わってきそうです。

特に日本の知るために欠かせないのが、アメリカのこと。
アメリカの当時の技術力、軍事力がどれほどのものだったのかもわかりやすく展示されていました。

圧倒的な格差。

そのアメリカと戦った日本のダメージはどれほどのものだったのか。
その痛みを抱えて生きてきたのが、私たちの祖父母であり、その祖父母に育てられたのが私たちの両親です。(あ、私の世代を基準にしてます)
今を生きる私たちの多くは戦争を直接は経験していないけれど、決して無関係ではありません。
70数年前に日本全体が負った傷は、今もまだ癒えていない。

徹底的に負けた日本ですが、アメリカがそこまでするくらいの底力が日本にあったことも、記念館で感じました。
隊員たちの志の素晴らしさ。
短期間であそこまで技術力を進化させたことも驚愕です。

他にも必見なのは、特攻隊員たちの手紙。
20歳そこそこの若者なのに、国のためだけではなく、世界の平和のために散っていく志を持っていた彼ら。
同時に、それは家族のためでもありました。
彼らの心情を安易に共感などはできないけれど、本当の日本の精神に気付かされます。

まだまだこのブログだけでは語りきれないことがたくさんあります。
行ったことある方は、ぜひ感想とか聞いてみたいです。

あ、最後に一つ。
大刀洗で亡くなられた方たちの写真が飾られていました。
その中に、アメリカの兵隊の写真もありました。
日本軍が大刀洗で倒した戦闘機に乗っていたアメリカ兵たちの写真です。
「〜様」と敬意をもって飾られていました。
こーゆーの、日本が誇らしくなるのと同時に、人間が本来どうあるべきなのかに立戻らされます。

よくNohさんが、日本がどれほど素晴らしかったのか、どれほどショックを受けたのかをよく語っていますが、こういうことだったのかと、より腑に落ちました。
日本人当事者が一番わかってないのでしょうね。

思い馳せるままに書いてみましたが。
続きはぜひ直接語り合いましょう〜。


ご訪問ありがとうございます。
このブログが間(あわい)となって、皆さんとのご縁が深まっていきますように。



唯一撮っていい写真が零戦でした。

覗き込むふっちー。
なんか、零戦が似合うなあ



帰りにランチしてきました。
久々のチーズナン。
おいしかったー!



〜認識が変われば、世界が変わる〜

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