2013年12月30日月曜日

満足したら終わり?

”満足したら終わり”

と言うのをよく聞きます。
私はあんまりこの言葉が好きではありません。
だって、じゃあいつ満足するの?って思うのです。

”いつか成功する”
”いつか幸せになる”

いつどうなったら幸せで成功って言えるんだろう?って思うのです。
ひねくれているように聞こえるかもしれませんが、本当に素朴な疑問なのです。
常に足りない、まだまだだという状態。
それって永遠に満足できないってことですよね。
それは寂しいなあと感じます。
そう思うのは私だけでしょうか?

今は資本主義で金融経済が力を握っているから、個人にモチベーションがかかっています。
終わりなき高さの追求、尽きることない私有欲、果てしない競争。
何かを得た瞬間だけ喜び、感動、充足感があるけれど、それも一瞬にして消えるバブルのようなもの。

今の幸せ、成功パターンが良いとか悪いとかではなく、繰り返していったその先に個々が、そして70億人が平和になれる道がないのは間違いない事実だと思います。

そうした世界に敗れ、心疲れた人々が昔を振り返る動きが多くなってきているように見えます。

”ありのままでいい、そのままの自分を受け入れること”

こうした言葉もよく聞くようになりました。
農業に携わる人が増えていたり、村おこしが活発化してきているのも、そうした流れの一環でしょう。
でも、これもあんまり好きではないのです。
本当にひねくれているつもりではないのですが(笑)

だって、そもそも”ありのまま”が何かもわからないのに、何をどう受け入れるのでしょうか。
もちろん現在の自分を否定せず認めることはとても大切です。
外の進化・発展に目を向け続けた結果、置き去りにしてきてしまったものを取り戻すことも重要です。
けれどそこに留まってしまっては問題解決に至らないと思います。

環境破壊、格差社会、宗教・民族紛争、原発問題、鬱・自殺の増加、経済の停滞、個々の判断基準の複雑化、暗記教育の限界、等々。
尽きることのない問題。
こうした問題は時代を回帰することでは解決できません。

そんな話はもうわかっているって言われるかもしれません。
でも世界のどこを探しても解決策、代案がない。
それでも何かしないといけないから、政治家も事業家も、日々働く社会人も主婦も学生も、
みんなそれぞれにがんばっています。
その中で疲れ果て、心が麻痺してきている人も増えてきています。

私自身、2年程前まで何をどうしたらいいのか全く分からない状態でした。
自分の周りの人々、そして世界の人々を見渡した時に、
人間は何で条件付けの幸せしか得られないんだろうって、そのことに心から憤りを感じました。
けれど自分がやりたいことも分からないし、社会を変える術も見つかりませんでした。

そんな時に出会ったのが、韓国人のNoh Jesuさん。
そしてNohさんが発見・発明し、日本が育てた認識技術”観術”です。

その出会いによって、初めて自分の現在地、時代の現在地が過去・未来と真っ直ぐ繋がって理解できました。
何が問題の原因で、どうすればそれを突破できるのか、そして未来をどう創っていくのかが論理とイメージで明確に観えたのです。

ここではとても語りきれませんが、間違いなく観術は日本から始まる新しい教育プログラムであり、新しい経済となる認識経済を胎動させるものであり、東洋と西洋が融合した新しい文化文明の出発となるものだと私は確信しています。

組織や国も一人ひとりの集合体でしかありません。
まずは一人ひとりが心の平和を持ち、主体性、自立性を持って常に今ここ最高、今ここ幸せ・成功の生き方を実践していくことが、豊かな社会を持続させていくのに不可欠だと思います。

こんな話をするとよく理想論だと言われますが、理想を追いかけなかったらいつ理想に到達するのでしょうか。
何よりも理想だ現実だと分けたのも人間です。
その分け方の基準を理解することによって、基準を変えれば理想も現実も変化します。
大切なのは原因を知り、そのメカニズムを理解することだと思います。
それを可能にする突破口が観術です。

今では観術フリーアカデミーとしてコンテンツが一般公開されています。
次の一手が見えない今の時代を突破する代案としてぜひ一人でも多くの方に出会って、確認してみてもらいといと心から思います。

2013年の終わりに長々と知拙な文章で想いを綴ってみました。
この一年は変化に満ちた年だったという言葉をよく聞きます。
2014年は世界中で更に激動の一年になりそうですね。
時代の変化の中で、柳のような柔軟性と揺るがない心を持って、まずは一つ一つの出会いを大切にしていきたいと思います。

2013年12月22日日曜日

モノづくりからヒトづくりへ

2013年も残り後わずかとなりました。
個人的にも社会全体でも変化が激しく目まぐるしい一年でした
そして2014年はますます激動の年になるのだろうなあと感じています。

2014年、日本はそして世界はどんな方向性へ向かっていくのかと考えた時、

私は教育革命の時代が到来すると思います。

乃ち、モノづくりからヒトづくりへ

今までにない新しい教育、新しいヒトづくり、その先陣に立つのが日本ではないでしょうか。

今、世界はアメリカと中国のG2で動いています。
しかし中国がアメリカを抜き、G1体制となるのは時間の問題です。

国の成長の指針となるGDPは、社会プレートの移動によって上昇します。

歴史の流れを大きく分けると、農業のプレートから産業のプレートへと移動し、成長してきたのが今まででした。
イギリスの産業革命に始まり、先進国は飛躍的に発展を遂げてきました。
しかし、今新しいアイディア、ニーズが生まれず頭打ちの状態です。
先進国において産業プレートはすでに飽和状態。
モノは豊かになり、食べることに困らなくはなりましたが、
少子高齢化、格差社会、雇用不安といった問題をどの先進国も多かれ少なかれ抱えています。
ここを突破する道がみえない現地点。
その中で中国は、まだまだ農業プレートの人々が億単位で控えています。
何億人もの消費欲求、それに対する供給がものすごい勢いで中国を動かしています。
けれど、その行き着く先は今の先進国と同じです。
それ以上に貧富格差、ストレス、プレッシャーが強くなる可能性も十分にあります。
中国だけでなく、インド、その他の途上国も同様の道を進んできます。

今、先進国は次のプレートへと移動していく必要があります。

それが教育革命であり、ヒトづくりだと私は思います。

一人一人が尊厳をもち、主体性、自立心を持って、揺るがない不動心を立てて生きること。

そうした人と人との繋がりをつくっていくこと。


産業プレートから尊厳プレートへ

資本主義から人本主義へ

モノづくりからヒトづくりへ


アベノミクスはモノづくりを推進していますが、モノづくりで成長するのは中国です。
これだけ物や商品が溢れている先進国では大した消費欲求、ニーズは生まれませんし、活性化しません。
物や商品を消費するだけのパターンを変えて、やる気、感動を生みだす消費パターンを創ることが大切ではないでしょうか。
それができるヒトをつくること。
その鍵となるのが日本であると私は確信しています。

ヒトづくり、新しいプレートへの移動を妨げる最後の障壁が観点・判断基準の問題です。
観点・判断基準の衝突が避けられないから争いが終わらない、解り合えない。
けれど観点・判断基準を統一しても画一化してしまい、創造性がなくなるという問題があります。

この観点、判断基準の問題、ジレンマをどうクリアするのかが、大きなニーズとなっています。

その突破口が、日本の和心、おもてなしの心、わびさびです。

観点・判断基準の違い、不完全性を全て包み込める「和」。
この和の精神を論理体系化し、新しい教育として全世界に発信していくこと。
新しいヒトづくり、新しいプレートへの移動、新しい職業・雇用の創出、新しい経済の循環を生みだすものであり、本当の平和づくりの根幹を成すものだと思います。

2014年、日本の時代における役割はとても大きいものです。
新しいプレートへ向けて日本全体が一丸となって世界に発信していきたいと思います。


2013年12月1日日曜日

メタ能力

面白いコラムに出会いました。
人材教訓関連の事業をしている若手の人。
誰かは忘れてしまいました(笑)

心に残ったことは”メタ能力”という言葉。
これからは一つの専門分野に長けているだけではダメ、
多様な知識・技術を繋げて、活かし合う能力が必要だ。
そんな感じの内容でした。

まさしくその通り!と思います。
だって単なる知識・技術ではコンピュータの方が断然強い。
どれだけ知っているか、パワーがあるか、といったことはひっくり返っても機会には勝てません。

でも機会の弱み、そして人の強み、それは”関係性”だと思います。

繋ぐ力、そこから融合、発展させていく力。
相乗効果を生み出す関係性の構築。
これは人間の特権ですよね。
それってまさしく”メタ能力”と言えると思います。

でも、これがなかなか難しい。
ネットの誕生で誰でも世界中にアクセスし、あらゆる情報を手に入れられるようになっているのだから、何でも繋ぎたい放題、やりたい放題、のように見えます。
けれど実際はむしろその逆で、情報量、複雑さに対応しきれず翻弄されている状態。
自分の生き方に必要なものをピックアップしてメタ化し、うまくやっていけるのはほんの一握り。

努力不足、といってしまえばそれまでなのですが、これだけ変化が激しく、方向性の見えない現代では一人ひとりの心がとっても忙しい。
降り注ぐ情報に、みんな心も頭もパンパンです。

だからまずはシンプル化することが必要だなと感じます。

絡まっている糸を解くように。
スッキリ一本の糸になるまでシンプルにする。
そして全体像を見据えてもう一度結んでいく。
シンプルにしたりコンプレックスにしたり自由自在。

でもシンプル化がこれまた難しい!
人って根本的に前進中毒だし。
でも前進してきたなら出発した最初の地点があるはずです。
その最初の出発点まで戻ること。
思えば人ってどこが出発点がわからないまま進んできました。

でも変化って”どこからどこへ”だから出発点がわからなければ方向性もわからないし本当の変化もできません。
出発点を知る、シンプル化するためには、そもそも人間って何をどう”認識”してきたのかを理解することが欠かせないと思います。
どんな”認識メカニズム”で言葉を使って、知識や技術を生み出し、関係性を構築してきたのか。

ややこしそうに見えるけれど、知識や技術の土台には言葉があって、
言葉の土台には認識があります。
今までは知識・技術をゲットすることにフォーカスされてきましたが、今や新しい知識・技術が生まれない頭打ち状態なのです。
だから大元の”認識”まで戻って現在地を観てみることが必要なのではないでしょうか。
認識から整理することで、シンプル化して”メタ能力”も身につけられると思います。

やっぱりシンプルスッキリ最高に楽しく生きていくのがイイです。
誰もが”メタ能力”を持って、アイディア溢れるワクワクした時代をみんなで創っていきたいなあと思います。

2013年11月6日水曜日

”手放す”ということ

最近、”手放す”ということの奥深さを感じます。


ちょっと前に断捨離が流行ったりもしましたが、思えば”手放す”ということは人類がずっと追求し続けてきたテーマではないでしょうか。
なぜって、両手に何かを握りしめたままでは新しいものを掴めませんし、隣と人と手も繋げません。

つまり”手放す”ということは進化発展の過程で不可欠なことなのではないかと思います。

とてもシンプルなことのはずなのに、自分も含め人というのは握りしめているモノを手放すことが本当に大変です。

それは、自分のお気に入りの服や鞄であったり、
稼いだお金、
手に入れた地位や名声、
こうだと思い込んでいる考えや感情のパターン、
世間の常識、などなど

手放したつもりでも、意外と根っこが残っていたり。

一度掴んだもの、決めたこと、知ってしまった世界を手放すことに、人はなぜこんなにも恐怖や抵抗を感じてしまうのでしょう。

時代の流れを観てみると、今まではいかに多くの権力や富、財産を得るか、ということに意味・価値があるとみなされ、それが幸せ、成功の条件でした。
その結果、二極化は進み、ピラミッド型構造の社会が出来上がりました。
しかし、今や新しいアイディアや技術が生まれないため、雇用も生まれず、ピラミッド型構造を保つことすらできなくなってきています。

そんな中、見直されてきているのが日本の”和の精神”、”おもてなしの心”です。

その心が示すことは、”循環、融合、調和”ではないかと思います。

実際、色んな所でこれらの言葉が発せられているのを見かけます。
そして、”循環、融合、調和”を生み出すために不可欠なことが、”手放す”ことだと思います。

逆に言うならば、”循環、融合、調和”のイメージがないから、手放すことに恐怖や不安を感じるのではないでしょうか。

手放したものは、一見失ったように思えるけれど、実際は形を変え、場所を変えて息づいているのです。

その変化を観る目、全体の動きを観る目を持てた時に、手放すことへの恐怖も消え、新しい”循環、融合、調和”の時代が生まれるのではないかと思います。

2013年10月27日日曜日

生きがい

ふと、友達に聞かれました。
"死ぬまで仕事をしたいと思う?"
その子は、亡くなった上司が、癌で闘病生活をしながらも最後まで仕事をしたがったその想いに不思議さを感じたそうです。
せっかくがんばって仕事をしてきたのだから、最後くらい好きにゆっくりしたらいいのにと。
その方がどんな想いを抱いていたのかは今はもう知る術もありません。

私は社会人7年目になります。
まだまだヒヨッコではありますが、今まで出会った人々の中で、心の底から仕事を楽しんでいる人の方が少ないように感じます。
その中でも将来への明確なビジョン、ワクワクするような未来を思い描いている人はもっと少ないでしょう。

人は何ために仕事をするのか。
それは即ち、何のために生きるのかということに直結します。

社会的に成功している人でもそうでない人でも、
求めているのは、充足感、やりがい、生きがい、ではないかと私は感じます。
自分が生きていることを、その意味・価値を心深く感じたい。
思いっきりエネルギーを注げるものが欲しい。
そのためには一人では不可能です。
相手があって初めて人は自らの存在を認識できます。
仕事というのはそのための一番わかりやすいツールなのではないかと思います。
自ら考え、行動し、生産し、周囲と関係性を構築し、時には破壊して更なる創造へと向かう。
最高の自己表現、人と繋がるツールの一つ。
そんなイメージを持っているからなのか、基本的に私は仕事というものが好きです。
仕事、というと硬いイメージがするかもしれません。
表現を変えるなら、役割をもつということでしょうか。
趣味でも遊びでも、言葉は何でもよいと思います。

死ぬ間際まで、生きていることを、誰かと繋がっていることを感じたいと、
そんな想いが友達の上司にあったのかもしれないと、心馳せた日でした。

2013年10月3日木曜日

死ぬことと見つけたり

私の好きなことば

”武士道とは、死ぬことと見つけたり”


これはすごいことばだなと思います。

実際の解釈は違うかもしれませんが、このことば、この境地は究極の大自由そのものではないでしょうか。


私は薬剤師として病に苦しむ人、懸命に生き長らえようとする人、死に直面する人、色んな人たちを見てきました。
その中で、みんな自分が何をどう生きて行けばよいのか全くわからないのだということを痛切に感じました。

死ぬことに恐怖し、生きることに不安し、今この瞬間を生きることができない。

必死に治療して、しかし気付けば治療することが目的となり、
いつしかなぜ治療しているのか、どう生きていきたいのかを全く見失ってしまいます。

病気のこと、治療のこと、薬のこと、不安に駆られてたくさん聞いてこられます。
その時、私は、
”治療することが目的ではないですよね、どう生きるかが先にあって、そのための治療ですよね”
と聞きます。
その瞬間、はっとして、”そうだった”と皆さんおっしゃいます。
けれど、すぐにまた日常に追われ、病への不安に囚われていってしまいます。

人は本当に今この瞬間を全力で生きることが難しい生き物です。
しかし、武士の”死ぬことと見つけたり”というのはそれを超えているのではないでしょうか。

自らの死に方が明確に見えた時、初めて生き方を決定できるのではないでしょうか。

自分がどう生きてどう死ぬのか、
それを明々白々に悟り知る時、今この瞬間、死にながらにして生きている。
それは生死への不安・恐怖を超えた状態であり、
だからこそ常に今この瞬間を全力で生きることができる。
過去からも未来からも自由で、かつ過去も未来も自由自在に創れる。
それこそが究極の自由な生き方ではないかと思います。

やっぱり武士って、侍って、すごいですね!
そんな不安も寂しさもない大自由の生き方・死に方を誰もができる時代を創っていきたいなと思います。

2013年9月4日水曜日

メタネットワーク

今、時代は大きな変革期にあります。

時代の流れを見てみると、全体主義個人主義か、
どちらか一方に集中しては失敗してもう一方へ、という動きを繰り返しています。

全体主義と個人主義の間の中道を行く道は、

一部では模索され試みようとした動きはあれど、実際に社会に大きく変革することはありませんでした。
なぜ中道を行くことができなかったのでしょうか。

中道とは、全体主義にも個人主義にもなれ、またそのどちらでもない自由自在な動きの状態です。
全体と個人を同時に成り立たせる動きを可能にするためには、
個々が条件・状況・環境に支配されない意志を立て、明確なビジョンを共有することが必要です。
そして、個人と全体との関係性を観ることです。

現代の教育は、暗記教育が主流で個々の能力、可能性を殺しています。
一方で、右脳開発、人間性教育などは現実の社会や人間関係の構築に活用しづらいのが現状です。

そもそも人間が何なのか、宇宙自然のメカニズムが何なのか、
なぜ考え、感情が生まれるのか、
考え、感情をどのように育み、使っていけばよいのか、
溢れる情報をどのように編集デザインして自らの人生を創っていけばよいのか、

こうしたことを教える教育は全くありません。
一見、能力向上や経済的な豊かさには繋がらないように感じるかもしれませんが、
これらの教育が実践されなかった結果が今の現状です。
急がば回れ、と言います。

人類500万年間に積み重ねてきたあらゆる規定、観念を全てリセットして、
ゼロから再創造する時に来ています。

条件・状況・環境に支配されない意志が立った個人が生まれた時に、今の行き詰った時代を突破するエネルギーが爆発し、未来へのビジョンを共有できるのです。

そうした個々の集まりは、絶対に裏切らない関係性を持った集団、組織となります。

揺らがない個性を持ち、かつ常に全体の観点を持てる。
個であり全体である動きそのものになれる。
そのスピードを観ることができる。

それがこれからの時代に必要とされる関係性、組織体系であるメタネットワークです。

今までは、お金を儲けるために物商品を流すネットワークを作ってきました。
これでは条件によって関係性が変わってしまい長続きしませんし、一部の集団に留まってしまいます。

まずはどんなことがあっても絶対に揺らぐことのない人間関係、ネットワークを構築し、そこに商品を流通させることで、経済が活性化していくのです。


意味・価値を追求する社会から、関係性を構築する社会へ。
高さ勝負の時代から、深さ勝負の時代へ。
物・技術の科学化だけでなく、人間の認識能力の科学化かされた時、
時代の両輪が揃い、新たなプレートへと進んでいくことができます。

2013年8月6日火曜日

和譲

島根二日間の旅へ行ってきました。

今年は史上初とも言われる出雲と伊勢の同時遷宮の年。
陰と陽、裏と表、イザナミとイザナギ
日本のエネルギーがひっくり返り、時代が大きく変わっていく年です。

島根への旅は本当に出会いと学びに満ちた旅でした。
ご縁結びの出雲では、

「出会う全てがご縁である」

と書かれていました。
まさしくこの世には出会いしかなく、一つ一つの出会いからどんな関係性を構築していくか、
その編集デザインした結果が人生であり、出会いと関係性のアートと言えるのではないでしょうか。

今回一番心に残った言葉が「和譲」です。

「和」ー聖徳太子の「和をもって貴しとなす」
「譲」ー二宮尊徳の「推譲」
上記を組み合わせた造語ですが、ここから更に、
和諧、オウトピア、スマートパワーといった理念が生まれたことを契機に、
小松電気産業株式会社の代表であり、人間自然科学研究所の理事長の小松昭夫氏が、述べておられるのは、
3つのソフトパワー(感情を加味した知恵、使命感、会話力)と2つのハードパワー(集団組織力、道理を実現するための方便)を、全体の文脈の中で統合することから生まれる「社会を変える力」が「和譲」である、と言っておられます。

18世紀にイギリスで産業革命が起きたことを機に、今まではハードパワーが主力の文化・文明でした。
これからはその裏付けとしてソフトパワーの開花が起きます。
そして双方の力が融合し表裏一体となった時、新しい時代を創るスマートパワー「和譲」が生まれるのです。
これが可能なのは日本しかないと私は確信しています。
究極のソフトパワーである「和」の精神が根付いている日本。
西洋のハードパワーを受け入れる包容力、寛容力を持ち、
かつ今まで人類が積み重ねてきた固定観念を切る勇気を持っています。
日本から「和譲」が発動した時、時代の次元が変わります。

今、世の中にはあらゆる問題が蔓延しています。
生きる意味の喪失、自己価値の低下、心身の病気、共同代の崩壊、産業廃棄物の問題、環境破壊、格差社会、等々。
特に先進国共通である、雇用問題、少子高齢化の問題は、今と同じ次元の政策、経営をしていても決して改善しません。

今までにない全く新しい素材、道具、技術が必要です。

そこから未来価値が生まれ、未来産業、未来経済が発動します。
多くの人々がこの必要性に気づいていますが、何をどうすればよいのかわからないのが現状です。
何故なのでしょうか。

アルバート・アインシュタインが述べるように

いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない

すなわち問題が先にあるのではなく、問題を作っている意識が問題であり、
意識の次元を上げれば、問題は問題でなくなるということです。

今の社会は人間勝手な規定を土台に成り立っています。

その規定の結果が現在なのですから、規定の中、同じ次元の中にいるままでは解決方法は見出せません。
規定の外、出発点・基準点まで戻ることが不可欠なのです。

それは小松昭夫氏が述べているように「人間に対する再定義」から始める時です。

人間とは何なのか、宇宙自然全ての仕組みが何なのか、
これを整理整頓し、誰もが活用できるようにすることが「和譲」であると私は考えています。
出発点から現地点まで脈絡を持って整理整頓ができた時、今ある問題が一掃でき、新しいワクワクした持続可能な未来への道が開けるのです。


本殿。
キレイでした~。見事が曲線美!


いつ見てもデカイ!
でももうお賽銭を投げてさすのはダメになってました。

足立美術館です☆我ながらナイスショットです。


2013年7月12日金曜日

新しい道具、商品

今まで人類は様々な道具や商品を開発してきました。
私たちの生活を豊かに便利にしてくれる道具、商品。
では、そもそも道具、商品とは一体何でしょうか。
どういった機能、役割、目的を持つものなのでしょうか。

それは体と心の限界を補うものです。

言うなれば、私たちの体と心の延長なのです。

体と心をどこまでも延ばしたい、という欲求が人間には元々セッティングされています。
だから馬車や車を開発して陸を超え、
船で海を越え、飛行機で空を超え、宇宙船で星を超えてきました。

延ばしたいという欲求は、出会いたい意志です。

出会って、ショック、感動、気づきがほしい、

その限界を補うために道具や商品の開発されてきたのです。

今や半導体から始まったインターネットの開発により出会いの範囲は飛躍的に拡がりました。
更にスマートフォンが登場し、プラットフォームが開かれ、
個人が簡単に世界中にアクセスできるようになっています。
境界線はどんどん取り払われ、出会い、繋がるインフラが完成しています。

それにも関わらず、逆にどんどん出会えなくなっているのです。


自分が何をどうしたいのかわからない。
家族や友達が何を考えているのかわからない、本音が言えない。
どこへ行っても、何をしても、
心から笑えない、今が楽しくない、自分の中に安心も確信もない。

出会っても出会っても、
出会えない。

全てを繋げた先の最後の障壁、それが”観点”です。

観点の中にいるから、自分と周りの間に壁を創り、自分の考えの中から出られない。
観点の外に出た時に初めて、自分とも周りとも出会えるのです。

そして観点の外に移動するための道具、商品が2013年に完成しました。

これからはこの新しい道具、商品を使って、
今までにない感動、ワクワク溢れる生き方を創っていく時代が始まります。

2013年6月22日土曜日

本当の情報社会へ

IT革命を経て、今、時代は情報社会と言われています。
インターネットによって、私たちは簡単に世界中の情報にアクセスできるようになりました。
溢れかえる情報、選択肢。
便利な反面、情報の量、スピード、複雑さに振り回されているのが現状です。
それに疲れ果て、以前の時代へと回帰しようとする動きも出ています。
しかし、否も応もなく時代は進んでいきます。
この複雑混沌を極める時代を整理整頓し、新しい時代へと向かっていくために、
私たちはどんな情報と出会えばよいのでしょうか。
一体何を知り、何を実践し、何を希望すべきなのでしょうか。

まずは何をどう考えればよいのか、考える方法を知る必要があります。

人は考える存在です。

何かを考えるように初期設定されているのです。

ではこの考えはどこからどのようなメカニズムで来るのでしょうか。
そして何のために考えるのでしょうか。

今までの時代では、5感覚脳で認識した現実画面を絶対と思い、
そこから反射的に考えてきました。
しかし、以前もお話ししたように5感覚脳で見るこの現実画面は絶対ではありません。
脳の認識メカニズムには癖があります。
 ①部分だけを取る
 ②違いだけを取る
 ③過去のイメージと繋げて取る
乃ち、私たちは事実をみているのではなく、条件付けられた相対世界を見ているのです。
それを理解しないまま、自然に見え、聞こえる物事に対して何の意志も働かせず、
反射的に考え、行動してきた結果が今の現実です。
この動物的な反射による思考、行動の繰り返しをストップさせる時が来ています。


そのためには条件によって変化する相対世界と、条件によって変化しない絶対世界との関係性を知る必要がります。

その関係性を明確に理解し、活用・応用できるようになった時、
5感覚脳で反射的に考えてしまう初期設定を解除することができます。
考えの支配から自由になると、全ての存在は情報で見えてきます。
絶対世界からこの相対世界に生まれ、存在するようになったその素材、メカニズム、目的が何なのか。
全ては情報の塊です。
この情報を解析し、活用していく時代こそが本当の情報社会です。


生き方に合わせて考えるのではなく、
考えた通りに情報を選択し、編集デザインして生き方を創っていく。

そんな最高に楽しい情報社会が目の前まで来ています。

2013年5月31日金曜日

HELP!

友達のおススメで”HELP”を観ました(^O^)
1960年代のミシシッピ州における白人女性とメイドである黒人女性の物語です。
憤り、哀しみ、ユーモアがリアルに演出され、もう涙ほろほろでした〜。

それは人種差別が当たり前だった時代。
時代ごとに様々な差別がありました。

白人と黒人
王と国民
男と女
等々・・・

人間はあらゆるものに””をつけ、”別けて”きました。
同時に、平等、人権を訴え、差別撤廃の運動、革命が繰り広げられました。
一つ一つ、”差”を取り除き続け、

そして今、かつてないほど”差”が拡がってきています。

止めようもなく進んでいく二極化。
なぜ私たち人間は”差”を創ってしまうのでしょうか。

その原因の一つに脳の認識機能があります。

脳は”共通”をとれません。
脳は違い、部分しか認識できないのです。

乃ち、私たち人間は”差”を創るように初期設定されているということです。

このことに気づかぬまま、脳が認識する現実画面を絶対だと思い込み、
見えるがままに、聞こえるがままに、
考え、感情、言葉、行動を発信し、関係性を構築し続けてきました。
今、改めて私たちがどんな現実画面を認識してるのか、理解する必要があるのではないでしょうか。

”HELP”では人種差別問題が赤裸々に描かれる中、
差別を超えて心通い合わせるシーンも多くあります。
人種が違えど、地位が違えど、性別が違えど、
心繋がってしまうのです。
繋がってしまえば、かけがえのない相手になってしまうのです。
では、隔てていたものは何だったのでしょうか。
あらゆる”差”を取り続けてきた、その最後の障壁は何なのでしょうか。

それが”観点”です。

70億人いれば70億通りの観点があります。
さらに蛇には蛇の、カエルにはカエルの観点があるように、人間以外の観点もあります。
それにも関わらず、人間は観点の中に捉まれ、固定したまま関係性を築こうとしてきました。
観点の外に出た時、乃ち全ての条件、状況から自由になった時に、
本当の意味で自由になり、心から繋がることができるのです。

この観点の外に移動させる認識技術が”観術”です。


”HELP”の最後に、脅してくる白人女性に対して黒人女性のメイドが、
”疲れませんか”
と問いかけるシーンがあります。
これほど人間の尊厳を求める、愛情にあふれた言葉があるでしょうか。
”差”をつけ、観点に固定されることは、本当に人を疲労疲弊させます。
そこには何の自由も、未来もありません。
人間はこんなものではないと、そう叫ぶ彼女の声が聞こえてくるようです。

気づき満載の映画でした☆
おススメしてくれたたまちゃん、ありがとう~(^^)/

2013年5月12日日曜日

変化の本質とは

変化の本質とは一体何なのでしょうか。

多くの人が変化を望み、そして同じくらい多くの人が変化しないこと望んでいます。
変化するもしないも選択は個人の自由。
しかし歴史的に観た時、変化してきたからこそ、ここまで時代は進化・発展してきました。
もう少し正確に言うならば、変化を生み出し、それを秩序化させ、さらにその秩序を破壊し、変化を生み出してきました。
 変化と秩序
 創造と破壊
 カオスとコスモス
時代はこの動きをずっと繰り返しています。
すなわち、変化は時代の必然なのです。
そして、時代の変化は当然私たちにも影響を及ぼします。
その中で、私たちは何を知り(know)、何を実践し(do)、何を望めば(hope)よいのでしょうか。
何をどう変化させればよいのでしょうか。

 

変化とは、"どこからどこへ" という動きです。

つまり現在地と方向性が明確になっていなければ、変化は生み出せません。
特に現在地をどう規定するかで方向性は大きく変わってきます。
”現在地”、それは、”自分とは何なのか”、”人間とは何なのか”ということです。
人類は500万年間、あらゆる分野でこの命題を追求し続けてきました。
宗教・哲学では”神”としてその存在を分け、
物理数学ではひも理論、M理論まできたものの次が見えない状態です。
様々な学者、思想家、研究者が追及に追及を重ねてきてなお、なぜこの命題を解き明かすことができなかったのでしょうか。

それは”観点の固定”にあります。


観点、すなわち判断基準とも言えます。
人は誰でも判断基準を持っています。
そしてその判断基準は皆バラバラです。
しかし誰かの判断基準に統一してもロボットのよう画一化されてしまいます。
かつ完全・完璧な判断基準を持っている人は一人もいません。
それにも関らず、無意識に自らの判断基準が絶対だと思い込んでいるのです。

この判断基準の異質性、不完全性を解決する方法が、観点を次元上昇させる認識技術、"観術"です。

観術では論理とイメージを用いて、観点の次元を上げることで、全体を俯瞰することを可能にします。
例えるならば、迷路の中でスタートもゴールもわからないまま彷徨っている状態から、迷路から抜け出て全体を見ることができるのです。
全体を把握できるから、自らの現在地がわかり、そこから移動するも留まるも自由自在です。
観術によって、一人一人が現在地と方向性を明確に把握し、意志を持って人生を設計できるのです。
そうした人々の連帯により、今までと全く次元の違う生き方、勝負が展開されるワクワクした時代となります。

今、どの国においても先が見えません。
次の未来価値・産業が生み出せず、希望が持てない状態です。
この危機的な時代を突破して、新しい時代へとパラダイムシフトしていくためには、まず観点の次元をあげて、自らの、地域の、国の、世界の、時代の現在地を確認し、全てをリセットしてから、方向性を再セッティングすることが早急に必要なのではないでしょうか。


2013年4月27日土曜日

自由な生き方

もっと自由になりたい
自由に生きたい
好きなことをしたい

多くの人が少なからずこうした思いを心に抱いているではないでしょうか。
日々、やらねばならないこと、すべきことに追われ、
やりがいや希望を感じることがどんどん減っていく現代。
今は本当に夢を持つことが難しい時代になりました。
子供の頃は、当たり前のように持っていた夢。
「大きくなったら何になるの?」
夢を持つことが当然であるかのように大人は子供に問いかけ、
そして疑問を持つこともなく、その時、心に思うことをそのまま答える子供。
子供は、できない、無理だ、といったことは考えません。
無条件に楽しく、何に出会っても感動で、夢は膨らみ、考えはどこまでも自由です。
しかし大人になるにつれて、考えも心もどんどん硬く小さくなり、
可能性よりリスクを、チャレンジより安定を選択する方向へ、思考や感情が走ります。
そして社会が創った規範の中、さらにその中で自らが創りあげた規定の中で、
気づけば息苦しいくらいに心も体もがんじがらめになっています。
その状態になった自らに気づいた時、自由になりたいと思うのです。

では、そもそも”自由”とはどういった状態なのでしょうか。

好きな時に好きなことを好きなだけできるということでしょうか。
何一つとして束縛されないことでしょうか。
では、本当にその状態になった時、一体何をすることを選択するのでしょうか。
何かを選択した瞬間、関係性が生まれます。
それは束縛体系の構築です。
乃ち、束縛なくして自由という概念は成り立ちません。
約束、規定があって初めて、人は自由を求めるのです。
そして究極の自由、それはカオスそのものです。
カオスでは人は生きてはいけません。
カオスでは、出会いがなく、進化・発展もありません。
つまり、苦しみ、悲しみもありませんが、喜び、楽しみも生まれないのです。
では、どうすればよいのでしょうか。
本当の”自由”にはどうすればなれるのでしょうか。

それは、自由(カオス)と束縛(コスモス)の関係性を知ることです。


私たちは普段、意識的にも無意識的にも様々な考え、感情をめぐらせ、言葉を発し、行動し、関係性を築いています。
では、その考え、感情、言葉、行動、関係性はどこから生まれているのでしょうか。
これらを発信する私たちはどこから生まれたのでしょうか。
更に観点を広げてみると、
私たち人類はどこから生まれたのでしょうか。
地球はどこから生まれたのでしょうか。
太陽系はどこから生まれたのでしょうか。
銀河系はどこから生まれたのでしょうか。
そして、宇宙はどこからどのようにして生まれたのでしょうか。

宇宙が生まれる前、それはカオスです。
宇宙は137億年かけて、カオスから今現在のコスモスまで創り上げました。
そのカオスとコスモスの関係性、メカニズムを解明しようと、
人類は500万年間あらゆる分野で追求し続けてきました。
宗教、哲学の分野では論理を立てることを諦め、”神”、”仏”と規定し、分けました。
科学の分野では”ひも理論”、”M理論”まできていますが、今ではヒッグス粒子1つを見つけるのに莫大な資金と時間を投入することに追われています。

これらの分野の限界を超え、

いち早くカオスとコスモスの関係性を解明したのが”観術”です。

観術とは、観点を次元上昇させる認識技術です。
この技術によって論理とイメージで明確に、カオスとコスモスのメカニズムを理解、会得することができます。
乃ち、宇宙の成り立ち、人間の成り立ち、自らの生き方の成り立ちを理解することができるのです。
更にそのメカニズムを会得することで、今現在から宇宙誕生前まで全てをほどき、そして全くバージョンアップさせて新しい今現在を再構築することも可能となるのです。
そのカオスとコスモス自由自在に行き来できるようになったとき、
初めて真の”自由”そのものになることができ、
”自由”な生き方を具現化することができるのです。

夢を持てない現代。
未来への希望が、行くべき道が見えない現代。
しかし、危機はチャンスと同じことです。
個々が、今目の前の現象に囚われるのではなく、
観点の次元を上昇させ、真の自由な生き方を実践できた時、
夢、アイディア溢れる素晴らしい時代の幕開けとなるのです。

2013年4月9日火曜日

コミュニケーションとは

CCO=Chief Communication  Officer

CDO、CIOなどはよく注目されてきましたが、コミュニケーションに特化した能力はビジネスの上であまり重要視されてきませんでした。
しかし、最近このコミュニケーション能力に大きな注目が集まってきています。
どの組織でも個人の技術や知識の育成、多様な情報収集ツールには長けてきました。
そして見えてきたより深い障壁がコミュニケーション能力です。

なぜ人と人は分かり合うことができないのか?
なぜいつまでも争いを繰り返し、平和が訪れないのか?
なぜwin-win、all-winの関係性が築けないのか?

これらの問題解決能力は、人類始まって500万年間、あまり進化していません。
そもそも”コミュニケーション”という言葉を聞いてどんなイメージを持つでしょうか?
非常にあいまいでぼんやりとしています。
ある学生が言いました。
「コミュニケーションは勉強できるものではない」
勉強できない、つまり体系化された論理、共有できるイメージがないということです。
けれど、思えば私たち人間は生まれながらにして様々なコミュニケーションをして生きています。
家族と触れ合い、友達と話し、食べ物を摂り、景色を見て心動かされ、
呼吸でさえも空気とのコミュニケーションと言うこともできます。
全てコミュニケーションによって生きてきたといっても過言ではありません。
それにも関わらず、私たちはコミュニケ―ションが何なのか明確に定義、共有することができないのです。
乃ち自分の考え、感情、そして言葉、行動、表情がどこからどのうようなメカニズムで発生するのかがわからないということでもあります。

人類は今まであらゆる物や技術を開発し、デジタル化してきました。
しかし、人間そのものは500年前も今もそれほど変わっておらず、アナログのままです。
今回、CCOの経営者である石山 義章氏は、このアナログな人間のコミュニケーションを明確に整理整頓されました。
今までの何が限界だったのか、
これから求められるコミュニケ―ション能力とは何か、
それを身につけるために必要なことは何なのか、
次回はコミュニケーションのメカニズムを紐解いていきたいと思います。

2013年3月25日月曜日

「和心からみた、健康の秘密」 行ってきました!!

2013年3月24日 日韓VISIONフォーラムに行ってきました。
今回のテーマは「和心からみた健康の秘密」
とにかくすごかった!!
最先端医療に携わるドクター達や、最先端の教育産業の専門家からバンバン奥深過ぎる話が飛び出しました。
私がここでいう最先端というのは今ある科学技術や哲学、学問の最先端のことではありません。
今、あらゆる技術、学問、教育、産業は危機的状況を迎えています。
アイディアが生まれず、新しい道が見えない状態。
医療もそうです。
目の前に現れた病気に対して薬などを使って終わりなき戦いを続けています。
しかし今回のフォーラムでは、
なぜ病気を治すことができないのか、
本当の健康とは何なのか、

その原因と突破口が明確に述べられていました。
今までに全くない論理、イメージ体系によって医療の現状が根本から整理整頓されました。
まさしく未来価値、未来産業を生み出す”最先端”の論理、イメージ体系です。
この新しい論理、イメージ体系がこれから医療に応用、活用されていき、全く次元の異なる医療が展開されていきます。

人は誰しもが治りたい、健康でありたいと願っています。
けれど、ここまで科学技術が発達したのにも関わらず、なぜ”病気”は一向に減ることがないのでしょうか。
そもそも私たちは”健康”とはどういう状態のことを指すのか理解しているでしょうか。
WHO(世界保健機関)では以下のように定義しています。

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.


着目したいのは”dyanamic state”という表現です。
乃ち、健康というものは固定されておらず、あらゆるものが繋がり、変化する動的状態ということです。

もう少しわかりやすく、別の角度から考えてみます。
”健康”を理解するためには、その反対である”病気”を理解することが大切です。
例えば、検査をして現段階で”病気がない”という状態は果たして”健康”であるといえるでしょうか。
これはあくまでも現在の身体的所見を科学的な立場から見た結果にすぎません。
一つ一つの細胞が正常に機能しなくなり、”病気”となります。
では、その細胞はどのような素材で、どのようなメカニズムでできているのでしょうか。
今の医療は細胞一つが何なのかすらわからないまま、ただ目の前に急に現れたかのように見える異常な細胞を攻撃しているにすぎません。
まるでもぐらたたきのように、終わりがないのです。

では”病気”をなくし、本当の”健康”を得るためにはどうすればよいのでしょうか。
それは固定したものとして分けないことです。
目の前に突如として現れたように見える”病気”、
それは自身の心、周りの環境、社会の現状、自然の在り方、宇宙の成り立ち、等々、
全てと繋がっており、今この瞬間も変化しているのです。
小さな”病気”という一つの現象が、宇宙、人類の成り立ちとどう繋がっているのか、
そのメカニズムが明確に論理とイメージで理解できた時、本当の”健康”を手に入れることができます。
すでにこのメカニズムを獲得する論理とイメージ体系が確立されています。

それが今までにない全く新しい認識技術、”観術”です。


これから医療に”観術”が応用・活用されていき、全く次元の異なる医療が展開されていきます。
病院はなくなります。
今ある薬の8割以上は不要となります。
医療技術職も全く姿を変えたものとなります。
まさか、と思われるかもしれません。
しかし、私はこの未来が訪れると断言できます。
すでにコンテンツはできているのです。
”dynamic state”で見た時、未来と今ここは繋がっています。
私たちのすべきことはただ嬉々として、可能性に満ちた未来へと向かっていくだけです。



福岡では桜が満開近くまで
咲き誇っていました(^O^)
キレイ~。
ちょっとピンボケ。。。
写真撮るのヘタです~(>_<)

2013年2月26日火曜日

B1 EXIBITION!!

B1 EXIBITIONに行ってきましたー。
時にはゲイジュツ方面の心も養わないと(笑)
けれどホントに行ってよかったです!

デザインはコミュニケーションツールである

会場にいらっしゃった方に教えていただきました。

本来、デザインとはテーマありきで創られる。
そのテーマをいかに見る人に訴えるか。
製品など、発信したい何かがあり、それをデザインとして表現する。
発信する側と受け取る側の架け橋となるのがデザインであり、まさしくコミュニケーションツールそのもの。
その点、絵画は自由である。
テーマも目的もなく、個人の自由意志で描かれる。
何を描くも、どんな手法を使うかも個人の責任となる。

なるほど〜でした!
一言で"アート"といっても、その役割は様々なのですね。
今回のB1 EXIBITIONは、改めてデザイン本来の"美"を追求する目的で開催されたそうです。

最近のデザインは飾り過ぎていて本来の美しさを失っているのではないか。
今一度、原点に立ち戻って、デザインの"美"を見つめ直そう。

"原点に帰る"
最近よく聞く言葉のような気がします。
特に福島の大地震以降、その動きが大きくなっているように感じます。
より便利な、より発達した、より豊かな生き方を求めて、走り続けてきた社会。
そして今、私達はどこにいるのでしょうか。
どこへ向かえばいいのでしょうか。
道を見失っている現代。
今一度、深く、深く、深く、原点に帰る時がきているのではないでしょうか。
出発点まで帰った時、現代を超える新しい社会を創造する道が見えてきます。
デザインの分野でも、どの分野でも往くべき道は同じなのですね。

色んな気付きのある出会いでした!
これがタダで開催されているのだから贅沢〜。
また行きたいと思います!










2013年2月17日日曜日

共同体の時代

これからは共同体の時代になるのは間違いありません。
今までも共同体を創ってきましたが、これからの共同体は全く質が変わってきます。

時代の流れを大きくみると今は産業社会といえます。
いやいや情報知識社会だよ、と言う方もいらっしゃるかもしれません。
今の情報知識社会とは、メモリ機能のことを指します。
人がしたこと、言ったことなどを機械に記憶させるだけです
そしてあと数年で機械の能力は人間の5感覚と脳を超えるでしょう。
人間は完全に労働から解放されます。

その時、果たして私たち人間は何をもって生きていくのでしょうか。

どんな人間になって何をすればよいのでしょうか?

だって記憶でも技術でも機械にかなわないのです。
一個人の能力で競うのは不可能です。
機械にできなくて人間にできること。
それは""を活かすことではないでしょうか。
人と人の"間"、人と物の"間"、組織と組織の"間"、国と国の"間"、人と自然環境の"間"・・・

つまり、どんな関係性、つながりを創っていくのかということです。

この"間"を創り育てることは機械には不可能です。
では、この"間"を創建していくにはどんな"情報"が必要でしょうか。
それぞれがどんなポジションにいて、どんな関係性をもっているのか。
それが"情報"です。

これからの情報知識社会とは、このポジションと関係性を解析、構築していくことです。

それによって強固で柔軟な共同体が創建できるのです。
その時こそ個々の能力が花開く百花繚乱の時代となるでしょう。

2013年2月11日月曜日

医療の変革の時

医療が発展・発達していく中、多くの命が救われ、難病もどんどん治療する術が見つかってきました。
しかし、同時にいくつもの歪みも生み出してきました。
今回は薬剤師として働く中、進化してきた医療の歪みについて感じるところを具体的に綴ってみたいと思います。

医療が発展・発達していく中、”薬”という分野が独立し、薬剤師が誕生しました。
”薬”は薬学という大きな分野を確立し、同時に人の病態から、生死から切り離されてしまったのです。
その結果、薬剤師は薬の効果はわかっても、患者さんの病態から薬を選ぶ能力が養われなくなりました。

医療が発展・発達していく中、各分野の成長は目覚ましく、より専門性が発揮されています。
それと同時に、専門分野しか診ず、疾患毎に各診療科を回していくようになりました。
しかし、患者さんの体は一つです。
心と体は循環しており、全ては繋がっています。
ある患者さんが、高血圧になり、癌になり、ヘルニアになっても、全ては繋がっており、原因は一つなのです。
疾患は表面化した結果体でしかありません。
それを忘れ、目の前の結果体をどうにかすることに終始しているのが今の医療です。

医療が発展・発達していく中、様々な職種が生まれました。
医師、看護師、薬剤師のみならず、放射線技師、臨床工学士など多岐にわたっています。
そしてその各分野が別個に機能しているのが多くの病院の体制です。
近年はチーム医療が推奨され、各職種の垣根は徐々に取り払われてきていますが、まだほんのごく一部です。

医療が発展・発達していく中、生死が何なのか、健康が何なのか、という根本問題は今だ明確になっていません。
技術の進化に人の心が追いつかず、命が長くなってもどう生きてどう死んでいけばいいのかがわからないのが現状です。
生きることにも死ぬことにも不安が募るばかりなのです。

医療の進化は本当に多くの命を救い、文化文明の発展に寄与してきました。
今やiPS細胞の開発にまできています。
しかし、この画期的な開発を活かすには人の心が追いついていないのです。
今までの発展・発達パターンではもう限界であることに気づいている医療者が増えています。

生死が何なのか、健康が何なのか、この命題が万人に理解できる論理が成立した時、初めて真に必要な医療が何なのかが医療者も患者もわかるのです。


医療は大きな変革の時に来ています。
それは乃ち生き方・死に方の変革の時が来ているということです。
一人ひとりが明確に自らの生き方・死に方を創造していく時代がもうそこまで来ているのです。

2013年2月7日木曜日

イチ薬剤師のつぶやき


医療において薬剤師の役割は何なのか。どういった医療を展開し、その中でどんなポジショをもつ薬剤師を創っていけばいいのか。

私が薬剤師として働き始めてからもうすぐ6年が経とうとしています。
日々、そんな疑問が私の中で大きく膨らんでいきます。

薬剤師は当然ながら医師が処方する薬に問題がないかをチェックし、必要であれば変更を依頼します。

様々な患者さんに出会い、疾患に出会い、薬に出会ってきました。
けれど、私は一度としてこの薬が、この患者さん、この疾患に必要であると自信をもって提案したことはありません

それは単に私の勉強不足もあるでしょう。

しかし、私はこの患者さんの病態を知らない、生活を知らない、他の医療者との関係性を知らない、生き方を知らない。

そんな中でどうしてこの薬があなたに必要ですと確信をもって言えるでしょう。
私が不真面目なのでも、特殊なケースでもないのです。
こうしたわからないことだらけで患者さんの元へ薬の説明に行き、治療に参画しているのが多くの薬剤師の実態です。
ふざけるなとおっしゃるかもしれません。
もっと学べとおっしゃるかもしれま
確かにその通りです。
しかし、それが極めて困難なくらい今の医療、医療体制はカオスなのです

薬学部が6年制になるなど、薬剤師はここ数年特に大きく変化してきています。
しかし、どんな薬剤師を創っていくのか明確なビジョンをもっている大学も病院も国もありません。

薬剤師には方向性がないのです。医療には方向性がないのです。人の生き方・死に方には方向性がないのです。

まるで飛んでいる矢のようです。
どこから来て、どこにいて、どこへ向かうか全く見えない状態。
この状態では病気も永遠になくなりません。
自らの意志をもって、明確に方向性をもった矢になる時がきているのです。


次回は薬剤師、医療の具体的な現状について語りたいと思います。



2013年1月29日火曜日

医道へ

”「真の」医療者をめざして”を読み、ブログを書かずにはいられませんでした。
畑地美妃先生の意志が痛いほどに伝わってきて、涙があふれそうでした。

医療が何のか、
生死が何なのか、
人間が何なのか、


あきらめず追求し続け、ついに新しい”医道”への道を語っておられます。

私自身、薬剤師という同じ医療者として日々疑問が止みません。
医療者も患者自身も、生き方・死に方がわかっていない中、何のためにどのような医療を提供したらよいのでしょうか。
生き方をどう創っていくのか、そのために医療をどう使うのかが、医療の役割であると思います。
しかし、治療をすることが目的になり、本来の生き方・死に方が置き去りにされてしまっているのが現状です。

西洋医療、東洋医療、あらゆるジャンルの治療法があります。
しかし、どの分野でも明確な治療法はなく、行き詰っています。
それら全てを統合し、バージョンアップさせる時が来ているのです。
畑地先生は全統合をした”医道”を明確に観ておられます。

畑地先生は何か特殊な力を持っているわけでもなく、
ただどこまでも真剣に患者と向き合い、自分と向き合い、いのちと向き合ってこられています。
目に見える事象や形に囚われず、人間の可能性を心から信じておられました。
そして追求した先に、生死のメカニズムを明確に理解し得た時、
信じる心は確信へと変わっていかれました。

”人間とはこんなものではないはずだ”

畑地先生の声が聞こえてくるようです。

”治療は患者と相対した時から始まっている”
畑地先生はそう述べておられます。
医療者が出会う相手は病気ではなく、患者です。
そして患者が出会うのも、治療ではなく医療者です。
そのことを忘れ、”病気”というフィルターをかけて出会っているのです。

今、ようやく医療とは何なのかを見直す段階にきています。
本当に病気がなくなっていく”医道”への道が始まっているのです。



次回は薬剤師から見た医療について語ります。

2013年1月14日月曜日

何事にも必ず"道"がある。
最近このことをすごく感じます。

車が走るのには道が必要なように、
考えや感情、アイディア、技術、物、人、
全ては生まれるまでに必ず道を通ってきます。

子供の頃、この道がわからないことがつらかったのだと今になって感じます。
自分の考えや感情がなんでどこから出てくるのかがわからなかったし、
どうしたら変化させることができるのかがわからなかった。
それはつまり道がわからなかったのです。

"道"とは"分け方"とも言えます。

思えば人は、人類が始まってからずっこの"分ける"ということをし続けてきました。
何か見つけたら必ず名前をつけて、それがどういう関係性で、何の機能・目的をもっているのかを勝手に決めつけてきました。
コップを"コップ"というのも、朝に"おはよう"とあいさつすることも、男・女というものも、全て人が"分け"て決めてきました。

ずっと分けて分けて、
分け続けて複雑になりすぎてしまったのではないでしょうか。
今の世の中は道が迷路のようです。
どこを歩いているのかもわからず、入り口も出口も見えない状態。
そんな道を歩くのは本当にしんどいです。

迷路グルグル状態から脱出するには、上から迷路全体を見てしまえば早いです。
つまり今自分が見ている世界の外に出ること = 観点の外に出ることです。
観点の外に出て全体が見えてしまえば、迷路状態になってしまった道をスッキリほどくことも、新しく道をつくることもできます。
観点の外に出て、道を自由自在につくれるようにする認識技術が"観術"です。

今はどこを見ても道が見えない状態です。
人の心も、時代の流れも複雑で行き詰まっています。
人類が始まってから500万年分け続けてきた道を全てぜロまでほどく、そしてもう一度道をつくりなおす。
それを論理とイメージで可能にするのが観術です。

今までと全く違う"分け方"、"道"創りの認識技術が確立されました。
想像をはるかに超えるワクワクな時代が始まります。



2013年1月2日水曜日

2013年 新しい年の始まりを迎えて

皆さん、あけましておめでとうございます!

2013年、それぞれの想いを持ってお正月を過ごされていることと思います。


2012年は色々な出会いがあった一年でした。
人と出会い、自分と出会い、街と出会い、文化と出会い、夢と出会い。
そして出会いを通して語りきれないくらいの気づきがあり、想いが溢れてきました。

喜び、落ち込み
心躍り、情けなく

心は嵐のように渦巻いていました(^_^;)
そして2013年はもっと激しい変化の一年になっていきそうです(笑)
そんな日々を過ごせることに感謝☆
今から新しい出会いが楽しみです。


2013年は時代そのものが大きく変化していきます。
政治、経済、あらゆる分野で行き詰まっており、強烈なエネルギー負荷がかかっている状態です。
このエネルギーがどこへ向かって大爆発するかが、日本、世界の大きな転換点となります。

国や世界というと日常の個人とは関係ないように感じますが、どうしたってやはり繋がっています。

個人の小さな動きや変化
国や世界の大きな動きや変化

この両方をどれだけ繋ぎ、動きのイメージを具体化させていくかが重要だということを、2012年の出会いを通して感じました。

一人一人を繋いでいけば70億人です。

この繋ぎ目をどれだけ強固にかつ柔軟性と創造性を持たせるか。
まさしく人間関係力です。

人間関係力によって人が成長し、そしてその人がさらに人間関係力を強くしていく。

人間力 ↔ 人間関係力


この関係性が相乗的に働いていくことが2013年のどの分野においても必要なことではないでしょうか。

繋がることが本当に難しくなってしまった時代です。
その限界をたくさんの人と繋がって突破してきたいと思います。


2013年、ワクワクしていきましょう~♪
今年もよろしくお願いします(^^)/