1960年代のミシシッピ州における白人女性とメイドである黒人女性の物語です。
憤り、哀しみ、ユーモアがリアルに演出され、もう涙ほろほろでした〜。
それは人種差別が当たり前だった時代。
時代ごとに様々な差別がありました。
白人と黒人
王と国民
男と女
等々・・・
人間はあらゆるものに”差”をつけ、”別けて”きました。
同時に、平等、人権を訴え、差別撤廃の運動、革命が繰り広げられました。
一つ一つ、”差”を取り除き続け、
そして今、かつてないほど”差”が拡がってきています。
止めようもなく進んでいく二極化。なぜ私たち人間は”差”を創ってしまうのでしょうか。
その原因の一つに脳の認識機能があります。
脳は”共通”をとれません。脳は違い、部分しか認識できないのです。
乃ち、私たち人間は”差”を創るように初期設定されているということです。
このことに気づかぬまま、脳が認識する現実画面を絶対だと思い込み、見えるがままに、聞こえるがままに、
考え、感情、言葉、行動を発信し、関係性を構築し続けてきました。
今、改めて私たちがどんな現実画面を認識してるのか、理解する必要があるのではないでしょうか。
”HELP”では人種差別問題が赤裸々に描かれる中、
差別を超えて心通い合わせるシーンも多くあります。
人種が違えど、地位が違えど、性別が違えど、
心繋がってしまうのです。
繋がってしまえば、かけがえのない相手になってしまうのです。
では、隔てていたものは何だったのでしょうか。
あらゆる”差”を取り続けてきた、その最後の障壁は何なのでしょうか。
それが”観点”です。
70億人いれば70億通りの観点があります。さらに蛇には蛇の、カエルにはカエルの観点があるように、人間以外の観点もあります。
それにも関わらず、人間は観点の中に捉まれ、固定したまま関係性を築こうとしてきました。
観点の外に出た時、乃ち全ての条件、状況から自由になった時に、
本当の意味で自由になり、心から繋がることができるのです。
この観点の外に移動させる認識技術が”観術”です。
”HELP”の最後に、脅してくる白人女性に対して黒人女性のメイドが、
”疲れませんか”
と問いかけるシーンがあります。
これほど人間の尊厳を求める、愛情にあふれた言葉があるでしょうか。
”差”をつけ、観点に固定されることは、本当に人を疲労疲弊させます。
そこには何の自由も、未来もありません。
人間はこんなものではないと、そう叫ぶ彼女の声が聞こえてくるようです。
気づき満載の映画でした☆
おススメしてくれたたまちゃん、ありがとう~(^^)/