2013年1月14日月曜日

何事にも必ず"道"がある。
最近このことをすごく感じます。

車が走るのには道が必要なように、
考えや感情、アイディア、技術、物、人、
全ては生まれるまでに必ず道を通ってきます。

子供の頃、この道がわからないことがつらかったのだと今になって感じます。
自分の考えや感情がなんでどこから出てくるのかがわからなかったし、
どうしたら変化させることができるのかがわからなかった。
それはつまり道がわからなかったのです。

"道"とは"分け方"とも言えます。

思えば人は、人類が始まってからずっこの"分ける"ということをし続けてきました。
何か見つけたら必ず名前をつけて、それがどういう関係性で、何の機能・目的をもっているのかを勝手に決めつけてきました。
コップを"コップ"というのも、朝に"おはよう"とあいさつすることも、男・女というものも、全て人が"分け"て決めてきました。

ずっと分けて分けて、
分け続けて複雑になりすぎてしまったのではないでしょうか。
今の世の中は道が迷路のようです。
どこを歩いているのかもわからず、入り口も出口も見えない状態。
そんな道を歩くのは本当にしんどいです。

迷路グルグル状態から脱出するには、上から迷路全体を見てしまえば早いです。
つまり今自分が見ている世界の外に出ること = 観点の外に出ることです。
観点の外に出て全体が見えてしまえば、迷路状態になってしまった道をスッキリほどくことも、新しく道をつくることもできます。
観点の外に出て、道を自由自在につくれるようにする認識技術が"観術"です。

今はどこを見ても道が見えない状態です。
人の心も、時代の流れも複雑で行き詰まっています。
人類が始まってから500万年分け続けてきた道を全てぜロまでほどく、そしてもう一度道をつくりなおす。
それを論理とイメージで可能にするのが観術です。

今までと全く違う"分け方"、"道"創りの認識技術が確立されました。
想像をはるかに超えるワクワクな時代が始まります。



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