2014年2月23日日曜日

やりがいの方向性?

社会人になって医療現場に携わっていると色んな疑問が湧いてきます。
その一つに、重症の患者さんが来ると、やりがい、意欲が湧いてくる場面を目の当りにします。
あまりよくない表現をするならば、ワクワクしているとも言えます。

もちろん重症の人なんて来ない方がいいものです。
みんなが病院なんて来なくなるくらい元気なのが一番です。
元気になってほしいと思って医療従事者はがんばるわけです。

でも人間って怖いモノ。
変化のない日常には飽き飽きしてしまいます。
毎日同じパターンの疾患や訴えに遭遇していると、退屈してくるのですね。
厳密に言えば同じパターンなんてないけれど、脳ミソは結構大雑把です。

人間って本質的に、自分の能力をフルに使ってみたい生き物です。
夢中になれるものを見つけて、自分の可能性を広げていきたいと思うのです。

外科のドクターに聞いたことがありますが、オペの時はもの凄い集中力と、エネルギーを投入します。
困難なオペを美しく仕上げたときは、エクスタシーにも近い感覚を味わうそうです。
それによって多くの命が救われているわけですし、良しとか悪しというわけではありません。

ただ医療に限らず、自分がやりがいを感じることの方向性がどこを向いているのか、
やりたい、欲しいと思う欲求がどこから来ているのだろうかと疑問を覚えてしまいます。
自分の中から湧き上がる欲求が、本当に自身が心から望むものであり、
その欲求から生まれる行動が果たして時代の方向性、ニーズに一致しているのでしょうか。
人間って目の前の出来事に条件反射的に走っていることがほとんどのような気がするのは私だけでしょうか。


陰謀論とか社会システムの裏側を知っている人たちは、世の中がコントロールされているのだから仕方ないというかもしれません。
でも仮に今の社会を支配している人たちがいなくなったら、世の中はもっとうまく回るのでしょうか。
代わりに誰か出てきて、結局同じようなことになる気がします。
色んな国、人種、時代があって、それぞれに特徴がありますが、人間という共通点からみれば、人間の機能って昔から変わっていません。
それに社会の色んな活動も、ただ利益を生むだけではなく、福祉や環境などの社会的貢献度がなくては企業も国も立ち行かなくなってきています。

本当に一人ひとりが、自分の心からの欲求、やりがいに出会い、それが人のため、社会のため、時代の流れと繋がる循環を起こすには、人間そのものが変わらないともう限界ではないのかなと思います。


社会や時代と繋がった、というと、そんなでっかいことって言われることもあります。
特に女性は身近なことに意識がいきやすいので。
でも、イヤでも私たちは社会の中で生きているし、時代は常に変わっていきます。
それならその流れに対応していかなければ、結局うまくいきません。
どうせ考えるなら、一番でっかいところから考えた方が楽じゃないでしょうか。
急がば回れっていいますしね。

何にしろ世界はどんどん境界線が取っ払われて、繋がらざるを得ない状況になってきています。
今のワカモノ世代はネット環境が当たり前すぎて、一昔前に比べて情報量がケタ違いだし、世界がより身近になっています。

これはもう世界が一つにまとまっていくしかない状態です。

あとは人間の心の境界線だけではないでしょうか。

これが一番硬くて難しいですが、ここを突破しないともう社会が回っていかない段階まできています。
心の境界線を突破できたらすごい時代になりそうです。
こんな面白い時代に生まれたことに感謝感謝ですね。

0 件のコメント:

コメントを投稿