2016年6月22日水曜日

この時代において、なぜ”人間と人間の宇宙が実在しない”ことを知る必要があるのか?

夜中にマーマレードをコトコト煮込んでいる間に、ブログを書いています。

夜にお菓子やご飯をつくりたくなるこの衝動は何なのだろう。。。
我ながら不思議です。


さて、このブログでもちょくちょく取り上げている

”人間と人間の宇宙が実在しない”

ことをなぜ知る必要があるのか、について。

今日は”知ること”をテーマに書いてみます。


今までは”知らないこと”、”無知”であることが問題とされてきました。

だからより多くの知識、論理、情報を得ようとしてきたし、
またそうした知識人たちが評価されてきた時代でした。

”知ること”が尊ばれ、価値があるとされてきた。

でも今はどうでしょうか?

情報知識の大洪水と言われるくらいの今の時代では、
”知ること”が増えれば増えるほど、摩擦・衝突が終わらない。
お互いに対するジャッジがどんどん激しくなる。

”知ること”が増えても、愛や平和が増えない。
むしろ自分の”知っていること”で相手の”知っていること”を攻撃する。
自分の”知らないこと”が恐怖で、建前がひどくなる。

さらに、人間の脳ミソよりも、スマホの方が色んなことをよく知っています。
”知ること”は人工知能の方が桁違いに得意です。

”知ること”に価値がなくなっていく。


こんな時代に”人間と人間の宇宙が実在しない”ことを知ることが、
どんな意味があるのでしょうか。


”人間と人間の宇宙が実在しない”
ことは、全ての”知っている”世界から自由になる”無知の完全性”の境地です。

”無知の完全性”になれるからこそ、
”知っていること”に囚われることなく、自分も人も愛し、平和に、融合していくことができます。

そして”無知”から”知”を無限大自由に創造することができます。

今の時代に”人間と人間の宇宙が実在しない”
ことがかなりニーズがあると思いますが、

みなさんはどう思いますか?





東京Japan Mission Projectの復路でヒッチハイクをしてる仲間たち。
奇跡的な出会いが織りなしています。

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