2017年10月29日日曜日

イカリア島の人たちは、なぜ心満たされ、長生きするのか?

福岡来てから2回目の今宿訪問。

1回目は、今宿に住んでいる友達の家に遊びに行った時。
そして今回は、SALTというシェアオフィスで「ハッピー・リトル・アイランド」という映画を上映していたので、観に行ってきました。

夜だったから海は真っ暗でしたが、波打ち際まで行って、波の音を聞いているだけでもとても癒されました。

舞台はイカリア島というギリシャの島です。
皆さんはご存知ですか?
私は初耳でした。

詳しくはWikipedia先生に。

イカリア島は、経済的に豊かでもなければ、生活環境も厳しい土地です。
なのになぜかこの島民たちは、笑顔で人生を楽しんでいて、長寿。
平均寿命が90歳くらいだとか!

この映画では、そんなイカリア島の秘密を探求しに来た1人の男性が第三者的な目線で語っていく形で展開していきます。
あんまり言うとネタバレなので、内容はこれ以上はナイショで(笑)

自分らしく生きるとは何なのか、
豊かさとは何なのか、
"助け合い"をしたいのになぜできないのか、
"助け合い"ができたら何が変わるのか、

そんなことを改めて振り返る機会になった映画でした。

イカリア島は、さっきも言ったように経済的に厳しく、自然環境も甘くない。
そして映画を見る限り、島民たちに特別な能力があるわけではなさそうですし、特別な技術や制度があるわけでもない。

だけど、彼らは心満たされ、人生を楽しみ、結果として長生きをする。

これは何なのでしょう。

私なりに思ったのは、"ネットワークの構築"です。

彼らは生活が厳しいため、いくつもの仕事を同時にこなしています。
どこからか何かしら収入を得るために。

彼らは貧しいがゆえに、あるものを最大限生かそうとします。
自然の力や食物とともに生き、感謝します。

彼らはお互いにモノや労働の貸し借りを当たり前のように行います。
今回は自分が助けてもらったから、次は私、のように。

イカリア島に住む一人ひとりは、周りから分離された個人ではなく、
人、仕事、自然などとの密接な相互作用によって成り立っている。
つまり、その多種多方向に張り巡らされた柔軟なネットワークそのものが"私"になっている。

分離されたこの体の範囲の"私"と、張り巡らされた柔軟なネットワークの"私"。
この"私"の違いは、生き方にどんな違いをうみだすでしょう。

イカリア島の人たちが、心満たされ、楽しく長生きしている理由は、この"私"の違いにあるのではないかと思いました。

さて、解析は人それぞれ。
ぜひ他の方達の意見・見解も聞いてみたいです。

あ、もう一つ、私が思うところ。

じゃあ、イカリア島のような生活をみんながしたら幸せになるのか、といったらそうは思いません。
そうなっているなら、人類はとっくに幸せ、平和になっていると思います。
これについてはまた明日書きますね。


ご訪問ありがとうございます。
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〜認識が変われば、世界が変わる〜

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