私はかなり諦めが根深かったんです。
子どもの頃、色んな疑問がありました。
友達はどうやってつくったらいいのか、
どうして人に優しくできないのか、
自分の考え、感情はどうやって生まれるのか、
絶対的な客観性を持つことは可能なのか、
時間とは何か、
いつから自分は自分と思ったのか、
そもそも自分とは何か、
などなど。
疑問を友達に投げかけると、"考えすぎだよ〜"の一言で終わり。
疑問は私の中で自問自答を繰り返しながら、悩みとなっていきました。
悩みの結論は自己否定に行き着き、小学6年生の頃には自分自身の存在価値がわからず、生きていることがイヤで仕方ない毎日でした。
それで当時流行っていた(?)リストカットをしようとするんですけど、本気で手首を切る勇気もなく。
うっすらと滲む血を見て、ますます自分への嫌悪感が募ったのを今でも鮮明に覚えています。
死ぬ選択もできない私に残されていたのが"諦め"でした。
私は自分も周りも何も変化させることはできない、
疑問に答えを見出すこともできない、
諦めないと死ぬこともできない自分が生きる道を見出せなかったんです。
それが中学生の時。
子どもの頃の決断って、怖いですね〜。
大人になってから色んなことにチャレンジするけど、だんだんネバベキになって疲れてしまうんです。
その原因が中学生の時に決断した"諦め"なんですね。
そもそもできるはずがないと諦めているところから取り組むので、自分の中でジレンマが生じてとても苦しくなってしまうんですね。
でもこれは私だけのことじゃないんです。
人間は、0〜12歳の間にした決断を大人になってもずっと引っ張っています。
何か新しいチャレンジや変化を作ろうとしても、いつも0〜12歳の時につくった自分自身の判断基準から出発してしまうんですね。
だから自分の中にジレンマが生じてうまくいかず、苦しくなってしまう。
これはその人の性格や能力に問題があるのではなく、人間が共通でもっている脳機能の限界です。
この脳機能の仕組みがわかり、脳機能をベースに0〜12歳の時にどんな決断をしてきたのかが客観的に理解できた時に、人間は過去から自由になって新しい自分をどんどんクリエイトしていくことができます。
今でも時々うっかり"諦め"から出発してしまうことがあります。
そんな時は、いかんいかんと仕切り直し!
脳機能に使われる側でなく、使う側へ、日々チャレンジです。
人間の可能性は無限大!
(参考動画)
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