2013年5月31日金曜日

HELP!

友達のおススメで”HELP”を観ました(^O^)
1960年代のミシシッピ州における白人女性とメイドである黒人女性の物語です。
憤り、哀しみ、ユーモアがリアルに演出され、もう涙ほろほろでした〜。

それは人種差別が当たり前だった時代。
時代ごとに様々な差別がありました。

白人と黒人
王と国民
男と女
等々・・・

人間はあらゆるものに”差”をつけ、”別けて”きました。
同時に、平等、人権を訴え、差別撤廃の運動、革命が繰り広げられました。
一つ一つ、”差”を取り除き続け、

そして今、かつてないほど”差”が拡がってきています。

止めようもなく進んでいく二極化。
なぜ私たち人間は”差”を創ってしまうのでしょうか。

その原因の一つに脳の認識機能があります。

脳は”共通”をとれません。
脳は違い、部分しか認識できないのです。

乃ち、私たち人間は”差”を創るように初期設定されているということです。

このことに気づかぬまま、脳が認識する現実画面を絶対だと思い込み、
見えるがままに、聞こえるがままに、
考え、感情、言葉、行動を発信し、関係性を構築し続けてきました。
今、改めて私たちがどんな現実画面を認識してるのか、理解する必要があるのではないでしょうか。

”HELP”では人種差別問題が赤裸々に描かれる中、
差別を超えて心通い合わせるシーンも多くあります。
人種が違えど、地位が違えど、性別が違えど、
心繋がってしまうのです。
繋がってしまえば、かけがえのない相手になってしまうのです。
では、隔てていたものは何だったのでしょうか。
あらゆる”差”を取り続けてきた、その最後の障壁は何なのでしょうか。

それが”観点”です。

70億人いれば70億通りの観点があります。
さらに蛇には蛇の、カエルにはカエルの観点があるように、人間以外の観点もあります。
それにも関わらず、人間は観点の中に捉まれ、固定したまま関係性を築こうとしてきました。
観点の外に出た時、乃ち全ての条件、状況から自由になった時に、
本当の意味で自由になり、心から繋がることができるのです。

この観点の外に移動させる認識技術が”観術”です。


”HELP”の最後に、脅してくる白人女性に対して黒人女性のメイドが、
”疲れませんか”
と問いかけるシーンがあります。
これほど人間の尊厳を求める、愛情にあふれた言葉があるでしょうか。
”差”をつけ、観点に固定されることは、本当に人を疲労疲弊させます。
そこには何の自由も、未来もありません。
人間はこんなものではないと、そう叫ぶ彼女の声が聞こえてくるようです。

気づき満載の映画でした☆
おススメしてくれたたまちゃん、ありがとう~(^^)/

2013年5月12日日曜日

変化の本質とは

変化の本質とは一体何なのでしょうか。

多くの人が変化を望み、そして同じくらい多くの人が変化しないこと望んでいます。
変化するもしないも選択は個人の自由。
しかし歴史的に観た時、変化してきたからこそ、ここまで時代は進化・発展してきました。
もう少し正確に言うならば、変化を生み出し、それを秩序化させ、さらにその秩序を破壊し、変化を生み出してきました。
 変化と秩序
 創造と破壊
 カオスとコスモス
時代はこの動きをずっと繰り返しています。
すなわち、変化は時代の必然なのです。
そして、時代の変化は当然私たちにも影響を及ぼします。
その中で、私たちは何を知り(know)、何を実践し(do)、何を望めば(hope)よいのでしょうか。
何をどう変化させればよいのでしょうか。

 

変化とは、"どこからどこへ" という動きです。

つまり現在地と方向性が明確になっていなければ、変化は生み出せません。
特に現在地をどう規定するかで方向性は大きく変わってきます。
”現在地”、それは、”自分とは何なのか”、”人間とは何なのか”ということです。
人類は500万年間、あらゆる分野でこの命題を追求し続けてきました。
宗教・哲学では”神”としてその存在を分け、
物理数学ではひも理論、M理論まできたものの次が見えない状態です。
様々な学者、思想家、研究者が追及に追及を重ねてきてなお、なぜこの命題を解き明かすことができなかったのでしょうか。

それは”観点の固定”にあります。


観点、すなわち判断基準とも言えます。
人は誰でも判断基準を持っています。
そしてその判断基準は皆バラバラです。
しかし誰かの判断基準に統一してもロボットのよう画一化されてしまいます。
かつ完全・完璧な判断基準を持っている人は一人もいません。
それにも関らず、無意識に自らの判断基準が絶対だと思い込んでいるのです。

この判断基準の異質性、不完全性を解決する方法が、観点を次元上昇させる認識技術、"観術"です。

観術では論理とイメージを用いて、観点の次元を上げることで、全体を俯瞰することを可能にします。
例えるならば、迷路の中でスタートもゴールもわからないまま彷徨っている状態から、迷路から抜け出て全体を見ることができるのです。
全体を把握できるから、自らの現在地がわかり、そこから移動するも留まるも自由自在です。
観術によって、一人一人が現在地と方向性を明確に把握し、意志を持って人生を設計できるのです。
そうした人々の連帯により、今までと全く次元の違う生き方、勝負が展開されるワクワクした時代となります。

今、どの国においても先が見えません。
次の未来価値・産業が生み出せず、希望が持てない状態です。
この危機的な時代を突破して、新しい時代へとパラダイムシフトしていくためには、まず観点の次元をあげて、自らの、地域の、国の、世界の、時代の現在地を確認し、全てをリセットしてから、方向性を再セッティングすることが早急に必要なのではないでしょうか。


2013年4月27日土曜日

自由な生き方

もっと自由になりたい
自由に生きたい
好きなことをしたい

多くの人が少なからずこうした思いを心に抱いているではないでしょうか。
日々、やらねばならないこと、すべきことに追われ、
やりがいや希望を感じることがどんどん減っていく現代。
今は本当に夢を持つことが難しい時代になりました。
子供の頃は、当たり前のように持っていた夢。
「大きくなったら何になるの?」
夢を持つことが当然であるかのように大人は子供に問いかけ、
そして疑問を持つこともなく、その時、心に思うことをそのまま答える子供。
子供は、できない、無理だ、といったことは考えません。
無条件に楽しく、何に出会っても感動で、夢は膨らみ、考えはどこまでも自由です。
しかし大人になるにつれて、考えも心もどんどん硬く小さくなり、
可能性よりリスクを、チャレンジより安定を選択する方向へ、思考や感情が走ります。
そして社会が創った規範の中、さらにその中で自らが創りあげた規定の中で、
気づけば息苦しいくらいに心も体もがんじがらめになっています。
その状態になった自らに気づいた時、自由になりたいと思うのです。

では、そもそも”自由”とはどういった状態なのでしょうか。

好きな時に好きなことを好きなだけできるということでしょうか。
何一つとして束縛されないことでしょうか。
では、本当にその状態になった時、一体何をすることを選択するのでしょうか。
何かを選択した瞬間、関係性が生まれます。
それは束縛体系の構築です。
乃ち、束縛なくして自由という概念は成り立ちません。
約束、規定があって初めて、人は自由を求めるのです。
そして究極の自由、それはカオスそのものです。
カオスでは人は生きてはいけません。
カオスでは、出会いがなく、進化・発展もありません。
つまり、苦しみ、悲しみもありませんが、喜び、楽しみも生まれないのです。
では、どうすればよいのでしょうか。
本当の”自由”にはどうすればなれるのでしょうか。

それは、自由(カオス)と束縛(コスモス)の関係性を知ることです。


私たちは普段、意識的にも無意識的にも様々な考え、感情をめぐらせ、言葉を発し、行動し、関係性を築いています。
では、その考え、感情、言葉、行動、関係性はどこから生まれているのでしょうか。
これらを発信する私たちはどこから生まれたのでしょうか。
更に観点を広げてみると、
私たち人類はどこから生まれたのでしょうか。
地球はどこから生まれたのでしょうか。
太陽系はどこから生まれたのでしょうか。
銀河系はどこから生まれたのでしょうか。
そして、宇宙はどこからどのようにして生まれたのでしょうか。

宇宙が生まれる前、それはカオスです。
宇宙は137億年かけて、カオスから今現在のコスモスまで創り上げました。
そのカオスとコスモスの関係性、メカニズムを解明しようと、
人類は500万年間あらゆる分野で追求し続けてきました。
宗教、哲学の分野では論理を立てることを諦め、”神”、”仏”と規定し、分けました。
科学の分野では”ひも理論”、”M理論”まできていますが、今ではヒッグス粒子1つを見つけるのに莫大な資金と時間を投入することに追われています。

これらの分野の限界を超え、

いち早くカオスとコスモスの関係性を解明したのが”観術”です。

観術とは、観点を次元上昇させる認識技術です。
この技術によって論理とイメージで明確に、カオスとコスモスのメカニズムを理解、会得することができます。
乃ち、宇宙の成り立ち、人間の成り立ち、自らの生き方の成り立ちを理解することができるのです。
更にそのメカニズムを会得することで、今現在から宇宙誕生前まで全てをほどき、そして全くバージョンアップさせて新しい今現在を再構築することも可能となるのです。
そのカオスとコスモス自由自在に行き来できるようになったとき、
初めて真の”自由”そのものになることができ、
”自由”な生き方を具現化することができるのです。

夢を持てない現代。
未来への希望が、行くべき道が見えない現代。
しかし、危機はチャンスと同じことです。
個々が、今目の前の現象に囚われるのではなく、
観点の次元を上昇させ、真の自由な生き方を実践できた時、
夢、アイディア溢れる素晴らしい時代の幕開けとなるのです。

2013年4月9日火曜日

コミュニケーションとは

CCO=Chief Communication  Officer

CDO、CIOなどはよく注目されてきましたが、コミュニケーションに特化した能力はビジネスの上であまり重要視されてきませんでした。
しかし、最近このコミュニケーション能力に大きな注目が集まってきています。
どの組織でも個人の技術や知識の育成、多様な情報収集ツールには長けてきました。
そして見えてきたより深い障壁がコミュニケーション能力です。

なぜ人と人は分かり合うことができないのか?
なぜいつまでも争いを繰り返し、平和が訪れないのか?
なぜwin-win、all-winの関係性が築けないのか?

これらの問題解決能力は、人類始まって500万年間、あまり進化していません。
そもそも”コミュニケーション”という言葉を聞いてどんなイメージを持つでしょうか?
非常にあいまいでぼんやりとしています。
ある学生が言いました。
「コミュニケーションは勉強できるものではない」
勉強できない、つまり体系化された論理、共有できるイメージがないということです。
けれど、思えば私たち人間は生まれながらにして様々なコミュニケーションをして生きています。
家族と触れ合い、友達と話し、食べ物を摂り、景色を見て心動かされ、
呼吸でさえも空気とのコミュニケーションと言うこともできます。
全てコミュニケーションによって生きてきたといっても過言ではありません。
それにも関わらず、私たちはコミュニケ―ションが何なのか明確に定義、共有することができないのです。
乃ち自分の考え、感情、そして言葉、行動、表情がどこからどのうようなメカニズムで発生するのかがわからないということでもあります。

人類は今まであらゆる物や技術を開発し、デジタル化してきました。
しかし、人間そのものは500年前も今もそれほど変わっておらず、アナログのままです。
今回、CCOの経営者である石山 義章氏は、このアナログな人間のコミュニケーションを明確に整理整頓されました。
今までの何が限界だったのか、
これから求められるコミュニケ―ション能力とは何か、
それを身につけるために必要なことは何なのか、
次回はコミュニケーションのメカニズムを紐解いていきたいと思います。

2013年3月25日月曜日

「和心からみた、健康の秘密」 行ってきました!!

2013年3月24日 日韓VISIONフォーラムに行ってきました。
今回のテーマは「和心からみた健康の秘密」
とにかくすごかった!!
最先端医療に携わるドクター達や、最先端の教育産業の専門家からバンバン奥深過ぎる話が飛び出しました。
私がここでいう”最先端”というのは今ある科学技術や哲学、学問の最先端のことではありません。
今、あらゆる技術、学問、教育、産業は危機的状況を迎えています。
アイディアが生まれず、新しい道が見えない状態。
医療もそうです。
目の前に現れた病気に対して薬などを使って終わりなき戦いを続けています。
しかし今回のフォーラムでは、
なぜ病気を治すことができないのか、
本当の健康とは何なのか、

その原因と突破口が明確に述べられていました。
今までに全くない論理、イメージ体系によって医療の現状が根本から整理整頓されました。
まさしく未来価値、未来産業を生み出す”最先端”の論理、イメージ体系です。
この新しい論理、イメージ体系がこれから医療に応用、活用されていき、全く次元の異なる医療が展開されていきます。

人は誰しもが治りたい、健康でありたいと願っています。
けれど、ここまで科学技術が発達したのにも関わらず、なぜ”病気”は一向に減ることがないのでしょうか。
そもそも私たちは”健康”とはどういう状態のことを指すのか理解しているでしょうか。
WHO(世界保健機関)では以下のように定義しています。

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.


着目したいのは”dyanamic state”という表現です。
乃ち、健康というものは固定されておらず、あらゆるものが繋がり、変化する動的状態ということです。

もう少しわかりやすく、別の角度から考えてみます。
”健康”を理解するためには、その反対である”病気”を理解することが大切です。
例えば、検査をして現段階で”病気がない”という状態は果たして”健康”であるといえるでしょうか。
これはあくまでも現在の身体的所見を科学的な立場から見た結果にすぎません。
一つ一つの細胞が正常に機能しなくなり、”病気”となります。
では、その細胞はどのような素材で、どのようなメカニズムでできているのでしょうか。
今の医療は細胞一つが何なのかすらわからないまま、ただ目の前に急に現れたかのように見える異常な細胞を攻撃しているにすぎません。
まるでもぐらたたきのように、終わりがないのです。

では”病気”をなくし、本当の”健康”を得るためにはどうすればよいのでしょうか。
それは固定したものとして分けないことです。
目の前に突如として現れたように見える”病気”、
それは自身の心、周りの環境、社会の現状、自然の在り方、宇宙の成り立ち、等々、
全てと繋がっており、今この瞬間も変化しているのです。
小さな”病気”という一つの現象が、宇宙、人類の成り立ちとどう繋がっているのか、
そのメカニズムが明確に論理とイメージで理解できた時、本当の”健康”を手に入れることができます。
すでにこのメカニズムを獲得する論理とイメージ体系が確立されています。

それが今までにない全く新しい認識技術、”観術”です。


これから医療に”観術”が応用・活用されていき、全く次元の異なる医療が展開されていきます。
病院はなくなります。
今ある薬の8割以上は不要となります。
医療技術職も全く姿を変えたものとなります。
まさか、と思われるかもしれません。
しかし、私はこの未来が訪れると断言できます。
すでにコンテンツはできているのです。
”dynamic state”で見た時、未来と今ここは繋がっています。
私たちのすべきことはただ嬉々として、可能性に満ちた未来へと向かっていくだけです。



福岡では桜が満開近くまで
咲き誇っていました(^O^)
キレイ~。
ちょっとピンボケ。。。
写真撮るのヘタです~(>_<)

2013年2月26日火曜日

B1 EXIBITION!!

B1 EXIBITIONに行ってきましたー。
時にはゲイジュツ方面の心も養わないと(笑)
けれどホントに行ってよかったです!

デザインはコミュニケーションツールである

会場にいらっしゃった方に教えていただきました。

本来、デザインとはテーマありきで創られる。
そのテーマをいかに見る人に訴えるか。
製品など、発信したい何かがあり、それをデザインとして表現する。
発信する側と受け取る側の架け橋となるのがデザインであり、まさしくコミュニケーションツールそのもの。
その点、絵画は自由である。
テーマも目的もなく、個人の自由意志で描かれる。
何を描くも、どんな手法を使うかも個人の責任となる。

なるほど〜でした!
一言で"アート"といっても、その役割は様々なのですね。
今回のB1 EXIBITIONは、改めてデザイン本来の"美"を追求する目的で開催されたそうです。

最近のデザインは飾り過ぎていて本来の美しさを失っているのではないか。
今一度、原点に立ち戻って、デザインの"美"を見つめ直そう。

"原点に帰る"
最近よく聞く言葉のような気がします。
特に福島の大地震以降、その動きが大きくなっているように感じます。
より便利な、より発達した、より豊かな生き方を求めて、走り続けてきた社会。
そして今、私達はどこにいるのでしょうか。
どこへ向かえばいいのでしょうか。
道を見失っている現代。
今一度、深く、深く、深く、原点に帰る時がきているのではないでしょうか。
出発点まで帰った時、現代を超える新しい社会を創造する道が見えてきます。
デザインの分野でも、どの分野でも往くべき道は同じなのですね。

色んな気付きのある出会いでした!
これがタダで開催されているのだから贅沢〜。
また行きたいと思います!










2013年2月17日日曜日

共同体の時代

これからは共同体の時代になるのは間違いありません。
今までも共同体を創ってきましたが、これからの共同体は全く質が変わってきます。

時代の流れを大きくみると今は産業社会といえます。
いやいや情報知識社会だよ、と言う方もいらっしゃるかもしれません。
今の情報知識社会とは、メモリ機能のことを指します。
人がしたこと、言ったことなどを機械に記憶させるだけです。
そしてあと数年で機械の能力は人間の5感覚と脳を超えるでしょう。
人間は完全に労働から解放されます。

その時、果たして私たち人間は何をもって生きていくのでしょうか。

どんな人間になって何をすればよいのでしょうか?

だって記憶でも技術でも機械にかなわないのです。
一個人の能力で競うのは不可能です。
機械にできなくて人間にできること。
それは"間"を活かすことではないでしょうか。
人と人の"間"、人と物の"間"、組織と組織の"間"、国と国の"間"、人と自然環境の"間"・・・

つまり、どんな関係性、つながりを創っていくのかということです。

この"間"を創り育てることは機械には不可能です。
では、この"間"を創建していくにはどんな"情報"が必要でしょうか。
それぞれがどんなポジションにいて、どんな関係性をもっているのか。
それが"情報"です。

これからの情報知識社会とは、このポジションと関係性を解析、構築していくことです。

それによって強固で柔軟な共同体が創建できるのです。
その時こそ個々の能力が花開く百花繚乱の時代となるでしょう。